シベリウス/交響曲 第5番 変ホ長調

田中 凌太(ヴァイオリン)

■ シベリウスの後期作品群

 シベリウスは交響曲・交響詩を中心に数多くの名作を残してきた作曲家である。とりわけその創作の最終段階に生み出された第5番、第6番、第7番の三つの交響曲と、主要な管弦楽作品の掉尾とうびを飾る交響詩「タピオラ」は、それまでの彼の作品から一歩踏み込んだ独自の境地を示している。
 特筆すべきは、これらがそれぞれ独立した作品でありながら、共通の創作構想のもとで並行して育まれていった点である。第5番の計画が本格化した1914年秋には、後続する2曲の交響曲のデッサンもすでに書きつけられており、3曲が共通した基盤に立つことをシベリウス自身が示唆していた。シベリウスの創作が極致へと達した作品とも評される「タピオラ」(1925年完成)の作曲もほぼ同時期に進められており、これらの作品は一つの大きな創作の流れの中で生み出された姉妹作として捉えることもできる。
 シベリウスの楽曲を大きく特徴づけるものの一つが、楽章構成の統合への志向である。第2番では第3楽章から終楽章への切れ目ない移行が試みられ、第3番では複数の楽章要素が融合する。そして第7番では、ついに全曲が単一楽章へと統合された。
 しかし、これらの作品群を結びつけているのは、楽章構成上の統合だけではない。より本質的には、少数の音楽素材から全曲を構築していく作曲思想において共通している。もちろん、それぞれの作品は異なる表情を持つ。第5番の生命力と開放感、第6番の簡素で清澄な美しさ、第7番の深い精神性、そして「タピオラ」の峻厳な自然観はその代表例である。その上でこれらの作品を貫くのは、余分な音を削ぎ落としながら、限られた素材を一つの大きな流れの中で有機的に成長・変容させることで巨大な構造を生み出そうとする姿勢である。本日演奏される第5番は、その探究が本格的に結晶化し始める作品であり、二度の改訂を経ながら統合への大きな飛躍を遂げた。

■ 作曲の経緯と二度の改訂

 第5番の構想は1914年秋に浮かぶ。この年、アメリカ訪問で大成功を収めたシベリウスだったが、帰路の船上でフランツ・フェルディナント皇太子暗殺の報を耳にし、第一次世界大戦の勃発とともに再訪の夢は潰え、結果的に生涯ただ一度のアメリカ訪問となってしまった。同時に、ドイツの出版社との交通も途絶し収入が激減したため、小品を週に一曲のペースで量産せざるをえない苦境に置かれた。その中でもシベリウスは第5番に着手し、第6番の構想も並行して進めた。これらの二曲の間では頻繁に楽想の入れ替えが行われていた。
 翌1915年はシベリウスの生誕50周年にあたり、国家的規模の祝賀演奏会が企画されていた。しかし誕生日の12月8日が近づいても完成の見通しは立たず、シベリウスは手術を機に辞めた酒やタバコを再び嗜むようになっただけでなく、睡眠薬まで服用するほど追い詰められた。それでも何とか初稿を間に合わせた。なおこの初稿は4楽章構成であり、現在親しまれている3楽章構成の完成稿とは大きく異なっていた。シベリウス自身の指揮、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団によって行われた初演は大成功を収め、追加公演も2回行われた。
 しかしながらシベリウスはその出来に満足せず、翌1916年秋に一度目の改訂稿を完成させた。この改訂の核心は構造にあり、初稿で独立した楽章として分かれていた第1楽章と第2楽章がブリッジで結合され、冒頭にはホルンによる新たなフレーズが加えられた。同年12月8日、トゥルクで自ら指揮したが、それでも満足できず1917年に大改訂へと着手した。
 折しもフィンランドは独立宣言(1917年12月)直後の内戦に突入し、シベリウス一家もアイノラを離れてヘルシンキへ一時避難するなど、作業は幾度も中断された。さらに長年の友人にして最大のパトロンであったカルペラン男爵が1919年3月に世を去り、深い絶望を日記に綴ったシベリウスが大改訂を完成させたのは、その訃報からわずか1か月後のことだった。この二度目の改訂稿が、現在広く演奏されている完成稿である。完成稿は1919年11月24日にヘルシンキで初演され、1915年にフィンランド国民の祝祭の中で産声を上げたこの交響曲はここに完結した。

■ 白鳥の幻影

 第5番の作曲中の1915年4月21日、シベリウスは一つの体験を日記に書き留めている。時刻まで「11時10分前」と記されたそのくだりには、16羽の白鳥が頭上を旋回し、やがて陽光に照るもやの中を銀のリボンのように消えていったことを「生涯最大の感銘の一つ」と綴り、その鳴き声をサリュソフォーンの音、あるいはトランペットに近いと、音楽的なイメージとともに記している。
 シベリウスが自然を敬愛していたことは有名な話であり、そこから直接的な着想を得ることは珍しくなかったが、第5番ではこの体験が終楽章で二分音符のモチーフの着想源となっている。同じ1915年の春には、冷たい日差しの中、もやと霧を吸いながらアイノラ周辺を歩いた際にも、交響曲の強烈なインスピレーションを得たことを記しており、この作品には随所にそうした自然との交感が刻み込まれている。演奏会場でその音楽が鳴り響くとき、フィンランドの春の空や大地の情景が、ふと目に浮かぶかもしれない。

■ 楽曲解説

 3楽章構成、演奏時間は30〜34分程度。内省的でどこか陰鬱な交響曲第4番とは対照的に生命力に溢れており、祝祭的な明るさに満ちた交響曲である。

第1楽章 Tempo molto moderato – Allegro moderato
 ソナタ形式の牧歌的な前半と、スケルツォ的な後半が一つの楽章に融合した大きな構造を持つ。冒頭、ホルンが北欧の広大な自然を暗示するかのように伸びやかに問いかけ、木管楽器群がこれに小鳥のように応え、第1主題群を形成する。続いて「ややフルート風に(poco flautato)」と指定された弦のトレモロの上に木管が第2主題を提示する。そこから一度高揚し、ヴァイオリンと木管によってfz(フォルツァンド)を繰り返す印象的なモティーフが奏でられながら静まる。第1主題と第2主題が変奏されながら反復されることで新たな形で提示された後、展開部ではホルンの橋渡しを経て弦楽器が半音階的な楽句を奏で始める。そこから曲はラルガメンテにテンポを落とし、チェロ以上の弦楽器により「強く、そして悲愴に(forte e patetico)」と指定された旋律が奏でられ、前半部分はクライマックスとなる。
 トランペットによって第1主題が再現される中で、木管によって次のスケルツォのモティーフが奏でられる。この巧みな結合によって、前半と後半の有機的な接続が実現されている。やがて音楽はスケルツォ的なアレグロ・モデラートへ移行し、木管の主題を中心として変奏的に発展してゆく。やがてトランペットによって中間主題が奏でられ、スケルツォが急迫してゆく。最後はプレストとなり、トランペットによる朗々とした終結主題で頂点を飾って終止する。

第2楽章 Andante mosso, quasi allegretto
 変奏曲形式による緩徐楽章。ヴィオラとチェロのピッツィカートが純朴な主題を静かに提示し、これが様々な楽器に引き継がれながら幾度にもわたって変奏されてゆく。主題そのものはほとんど変わらないにもかかわらず、色彩と密度が微妙に変化し続け、聴き手は同じ風景を次第に違う光の中で見るような経験をする。

第3楽章 Allegro molto
 弦楽器のトレモロが疾走感に溢れる第1主題を形成し、やがてホルンが二分音符のモティーフ(前節で取り上げた白鳥から着想されたもの)でこれに応える。これに乗せて第2主題がフルート、オーボエ、チェロによって歌われる。「神秘的に (Misterioso)」の指定のもとで弱音器をつけた弦楽器のトレモロによって第1主題が再現され、先程の二分音符のモティーフが形を変えて登場する中で第2主題も再現される。拍子が2分の3となり、Un Pochettino largamenteとなったところで第2主題は弦楽器へと引き継がれ、Largamente assaiへの移行の後、二分音符のモティーフがトランペットに現れる。そして、間に印象的な休符を挟んだ6つの短い和音の連打にて、この交響曲は幕を閉じる。

初演:
(初稿)1915年12月8日 ヘルシンキ(ヘルシンキ大学講堂) ジャン・シベリウス指揮/ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団
(第2稿)1916年12月8日 トゥルク ジャン・シベリウス指揮/トゥルク音楽協会管弦楽団
(完成稿)1919年11月24日 ヘルシンキ ジャン・シベリウス指揮/ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団

楽器編成:
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、ティンパニ、弦五部

参考文献
  • 『作曲家別名曲解説ライブラリー18 北欧の巨匠』音楽之友社 1994年
  • 神部智『シベリウス(作曲家・人と作品シリーズ)』音楽之友社 2017年
  • URLをコピーしました!