ヤナーチェク/狂詩曲「タラス・ブーリバ」

板橋 文音(トロンボーン)

■ ヤナーチェクについて

1914年頃のレオシュ・ヤナーチェク
Wikimedia commons

 レオシュ・ヤナーチェク (1854-1928) は、モラヴィア(現在のチェコの東部地方)北部の 小さな村フクヴァルディの学校教師の家で、10番目の子どもとして生を受けた。
 領主の搾取により貧しい生活ではあったが、教師であるヤナーチェクの父親は、通常の授業科目に加えて図画・唱歌・地理などの科目をヤナーチェクに受けさせた。また、音楽家でもあった父親は、しばしばヤナーチェクとヴァイオリンを弾く姉妹を連れて、隣村のリハルティツェの教会へと演奏に出向いた。父親の友人が聖歌隊指揮者を務めていたため、リハルティツェの教会と交流があったのだが、父親と友人の喧嘩によりその交流は途絶える。しかし、リハルティツェの教会にあった大きなティンパニがヤナーチェクの記憶に焼き付いており、後にそのことで一度だけ関わりを持つことになった。
 復活祭のミサがフクヴァルディで行われることになったとき、ティンパニが礼拝式に無ければ完全な復活祭とは言えないと考えたヤナーチェクは、友人たちと夜中にリハルティツェの教会からティンパニを運び出し、フクヴァルディへ持ち帰った。もちろん父親は激怒し、楽器は即座に返還されたが、ティンパニの響きはヤナーチェクの耳に強く残った。彼の作品においてティンパニは構成上の効果のために使用され、例えば「シンフォニエッタ」第1楽章、第5楽章を支配するファンファーレでは、金管楽器と対を為す応答として奏される。また、「タラス・ブーリバ」第3楽章ではティンパニの連打によって大きく場面が転換される。彼にとってティンパニは特に印象深い楽器であったことがうかがえる。
 11歳以降はモラヴィアの首都ブルノを中心に生活したが、フクヴァルディでの貧困と豊かな自然に囲まれた生活はヤナーチェクの根底を形成した。フクヴァルディから生活の拠点を移した後も、民族音楽収集のために何度か旅行で訪れている。
 1869年、ヤナーチェクはブルノのドイツ人中学校を卒業後、王立師範学校の教員養成科に入学し、音楽のほか歴史、地理、心理学で優秀な成績を収めた。 1872年には、アウグスティノ会修道院の聖歌隊副指揮者に就任し、聖歌隊の指揮者であり、ヤナーチェクの教師でもあったクルジージュコフスキーの代理として活動することになる。加えてスヴァトプルク合唱協会の指揮者も務め、合唱曲の作曲も始めた。20歳のころには1年間プラハのオルガン学校に移り、対位法とフーガを中心に学んだ。1874年には教育実習を終え、王立師範学校を卒業したものの、音楽を教える資格は取得しなかった。
 1879年、ヤナーチェクはライプツィヒ音楽院に入学する。しかし授業内容に満足できず、1880年にウィーンへ移る。ウィーンではコンクールに作品を出品したが、高い評価を得ることはできなかった。そのことが影響してか、西ヨーロッパ的な音楽教育の必要性を感じなくなった。
 このような背景もあり、ヤナーチェクは1890年以降の作品において、西ヨーロッパの作曲様式を意識的に排除した。その代わりに、彼は民族音楽、とりわけモラヴィア民謡を自らの作品に取り入れるようになる。ただし彼は直接民謡を引用するのではなく、民謡のリズムや構造、モラヴィアの農民の話し方の抑揚を分析し、独自の作曲語法を獲得した。
 彼はオペラ「イェヌーファ」(1903)が作曲後13年を経て、1916年に上演されたことをきっかけに広く知られるようになった。これは彼が62歳の時のことであり、比較的遅咲きであったことがうかがえる。
 ヤナーチェクは生涯を通じてロシア文学に惹かれ、自身の多くの作品を東方の物語に基づいて制作した。当時チェコを支配していたオーストリア=ハンガリー帝国への反発もあり、同じスラヴ民族であるロシア人には親近感を抱いていたのではないだろうか。

■ 楽曲解説

 ヤナーチェクは1915年初頭に作曲を開始し、作曲途中で多忙のために2年半ほどの中断をはさみ、1918年3月29日に全曲を完成、1924年に改訂した。
 この曲を作曲する10年ほど前の1905年頃には、ヤナーチェクはロシア人をスラヴ民族の救済者であり指導者であるとみなす国家的熱情の表れのひとつとして、ゴーゴリの作品を題材に作曲することを漠然と考えていた。特にゴーゴリの作品の主人公を待ち受ける火刑による死が象徴する、「ロシア人の力を打ち砕くことができるものなど存在しない」という事実を称えるべきだと考えた。
 ニコライ・ゴーゴリの小説『タラス・ブーリバ』(1835年/1842年改訂)では、17世紀を舞台に、ウクライナのコサック軍隊長タラス・ブーリバと息子たちの戦いと死が描かれる。
 ヤナーチェクは、この小説からタラスと2人の息子たちの死の場面を取り上げ、3人それぞれの死にフォーカスした3楽章構成の管弦楽曲を作曲した。作品を通して場面ごとの緩急やダイナミクス、管弦楽法の鮮やかな対比が特徴的である。
 3管編成のオーケストラにオルガンが足されており、ヤナーチェクの管弦楽曲としては非常に色彩豊かなパレットを使った作品である。

第1楽章 アンドレイの死
 コサック隊がドゥブノの街を包囲する中、タラスの次男アンドレイは彼の想い人であるポーランド貴族の娘が飢えた街の市民の中にいると知る。彼は夜の闇の中こっそりと秘密の通路から街に侵入する。必死の捜索の末ついに彼女を見つけ出すが、すぐに戦いの喧噪に呑まれる。彼女への恋心からアンドレイは祖国を裏切り、ポーランド側としてかつての仲間と戦闘することを選ぶ。アンドレイは父親のタラスに見つかり森の中へ追いつめられ、その権力に屈して頭を下げた。
 しかしタラスはロシアへの信仰心と皇帝への忠誠心が厚く、非常に厳格な性格の男であったため、アンドレイをためらいなく射殺する。最後にアンドレイが発した言葉は、恋した娘の名前であった。

 冒頭のコールアングレが恋人を思うアンドレイの心情を美しく歌い上げるなか、僅かに不協和な響きを伴う弦楽器による伴奏が響く。このハーモニーによってアンドレイが抱える苦悩が表現される。一方で、オーケストラによって徐々に街に迫りくる惨劇が描写され、それに対してオルガンとチャイムによって人々の祈りが描かれる。
 アンドレイの想いは繰り返しながら高揚していくモティーフによって表現され、娘を象徴するヴァイオリンとの衝突でついに彼女との邂逅が描かれる。その後のオーボエが奏でる甘美な旋律には、2人の恋心と後に待ち受ける悲劇が1つのメロディのなかで共存して描かれる。
 トロンボーンが打ち出す主題によって父親の残酷な態度が描かれ、アンドレイが父親の手によって死を迎える場面で楽章を終える。息子の命を奪った場面にしては随分明るく力強い長三和音で幕を閉じるが、これはタラスが一貫して「コサック隊の勝利」に拘った人物であることや、ヤナーチェク自身が持つロシアへの国家的熱情の表れと言えるだろう。

第2楽章 オスタップの死
 タラスの長男であるオスタップは父の精神を継いだコサック精神の塊とでも言うような性格の持ち主であった。しかし、弟の死に気を取られた隙にポーランド軍に捕らえられ、ワルシャワへ送られる。タラスも重傷を負って倒れる。オスタップを捉えたことを喜んだポーランド軍は祝祭のマズルカを踊り、その後オスタップに残忍な拷問を加える。
 オスタップは広場で公衆の面前に晒されながら処刑を待つことになるも屈することなく、彼を救出しに来たタラスの前で処刑される。オスタップが最期に「お父さん、どこにいます? 聞こえますか?」と叫ぶ。タラスは思わず「聞いているぞ!」と応答し、静まり返った広場に声が響き渡る。群集はいっせいに震えあがり、騎馬の兵士隊が群集のあいだをくまなく捜索するも、タラスの姿は消えていた。

 冒頭、ハープのアルペジオとそれを支える木管楽器のハーモニーが奏され、弦楽器のパッセージによって中断される。この掛け合いが、和音やオーケストレーションの変化を伴いながら繰り返され、アグレッシブな曲想を持ったAllegroと交錯する。その後、低弦とファゴットによる6音で構成される音型が現れ、弦楽器の寂しげな旋律と交錯を繰り返す。やがてチェロが打ち出すモティーフをきっかけにポーランドの群衆によるマズルカが始まり、祝祭が行われる。祭りの熱が最高潮に達したところで、Esクラリネットのソロによってオスタップの最期の悲痛な叫びが表現され、楽章は幕を閉じる。

第3楽章 タラス・ブーリバの予言と死
 復讐に燃えたタラスはコサック軍を率いてポーランドの多くのカトリック寺院と町を焼き払い、殺戮を繰り広げた。しかし彼もついに捕虜となり木に釘付けにされ、火刑の宣告をうける。炎の中で彼は「さようなら諸君!わしを思い出してくれ、春になったらまたここへ来てくれ、また大いに暴れてくれよ!さあ、はじめたらどうだ、ポーランドの悪魔め?この世に何かコサックの恐れるものがあると思うのか?待っておれ、やがてきっとお前たちは正教たるロシアの信仰がどんなものか知るときがくる!今でさえもう遠近おちこちの諸国の民がそれを感じているのだ、ロシアの大地からロシア自身の皇帝が立ち上がるだろう、そして彼に屈服せぬような力は世界じゅうのどこにもないだろう!・・・」と勝利を予言し、息絶える。

 冒頭ファゴットの下降音型に続いて、ホルンが4音から成る短いモティーフを奏する。このモティーフは全オーケストラで繰り返され、派生していく。その後、第1楽章のタラスの好戦的なモティーフがトロンボーンによって再現され、音楽はより高まりを見せ、攻撃的な軍隊風の音楽へと移り変わる。金管楽器とオルガンの壮大な響きと大規模な和音の反復進行によって、作品は単なる個人の苦悩を描いたものからより広く高貴な大義を描いたものとして昇華される。
 その後、突如としてティンパニの連打とタラスの捕縛を表現するホルンの信号音が鳴り響き、曲想は大きく転換される。
 コーダへ入ると、随所に現れる甘い旋律、オルガンによる印象的なレチタティーヴォ、ポーランドを表すマズルカ、弔いを表現するチャイムなどが次々と現れ、金管楽器の壮大な和音が加わってタラスの壮絶な最期が描かれる。

 初演については、ブルノ歌劇場の指揮者フランティシェク・ノイマン(1874-1929)と、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者ヴァーツラフ・ターリヒ(1883-1961)から申し出があったが、ヤナーチェクはノイマンを選んだ。地元ブルノであれば、作曲者自身がリハーサルに同席して手直しできるという理由だと考えられる。1921年10月9日に行われた初演は成功し、ヤナーチェク自身も演奏を気に入った。また、ターリヒとチェコ・フィルハーモニー管弦楽団は、1924年11月9日にプラハにて演奏した。

初演:
1921年10月9日 ブルノ フランティシェク・ノイマン指揮/ブルノ国民劇場管弦楽団

楽器編成:
ピッコロ(3番フルート持替え)、フルート2、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2(第1クラリネットはEsクラリネット持替え)、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、小太鼓、吊りシンバル、トライアングル、チャイム、ハープ、オルガン、弦五部

参考文献
  • 『世界文学全集28(ゴーゴリ)』講談社 1977年
  • NHK交響楽団『フィルハーモニー28(1)』1956年
  • イーアン・ホースブルグ(和田旦、加藤弘和・共訳)『ヤナーチェク:人と作品』泰流社 1985年
  • 新交響楽団 第176回演奏会プログラム『「タラス・ブーリバ」あらすじ』2002年 (アクセス日:2026年6月1日)
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