マーラー/交響曲 第3番 ニ短調

山口 裕之(ホルン)

交響曲第3番を完成した1896年のグスタフ・マーラー
(Wikimedia Commons)

  グスタフ・マーラーといえば、世紀末ウィーンの作曲家・指揮者というイメージがある。何といっても1897年から1907年にかけて、ウィーン宮廷歌劇場(現在のウィーン国立歌劇場)の音楽監督を10年間務め、そのうち1898年から1901年は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者でもあった。ウィーンとのつながりはきわめて強い。反ユダヤ主義の風潮の強かった当時のウィーンで、ユダヤ人のマーラーが宮廷歌劇場の音楽監督となり、オーストリア帝国の首都でいわば文化・社会の頂点に立ったということは、そこにさまざまな駆け引きや戦略があったとしても、まずはとてつもないことである。マーラーがウィーン宮廷歌劇場に着任する1897年、同じ年の4月には、マーラーと同世代(2歳若い)の画家グスタフ・クリムトが中心となって、ウィーンの美術アカデミズム(キュンストラーハウス)からの離反と自立を目指すウィーン分離派が結成されていた。クリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」が分離派会館で展示された1902年のイベントでは、マーラーもベートーヴェンの交響曲第9番の演奏に参加している。ウィーン分離派の芸術家たちとのさまざまな交流という点でも、マーラーはまさに世紀末ウィーンの文化の重要な一角を担っていた。
 しかし、マーラーが交響曲第3番の作曲に取り組んでいた1895年から1896年というのは、彼がハンブルク市立歌劇場の首席楽長としてハンブルクで活動していた時期(1891年―1897年)であり、彼がウィーンで華々しい活躍をするようになる少し前のことである。
 オーストリア帝国のうちに含まれていたボヘミア王国のカリシュトという小さな村で1860年に生まれたマーラーは、彼の音楽的才能を確信していた上昇志向の強い行商人の父親の力添えにより、村を離れてギムナジウムでの教育(おもに比較的近いボヘミアのイーグラウ=現イフラヴァ)を受けるとともに、1875年にウィーン音楽院(現在のウィーン国立音楽大学)に入学し、78年に卒業する(ピアノと作曲)。ほぼ同じ時期にギムナジウムでの卒業資格も得て、1878年にはウィーン大学の講義も登録して聴講しており、和声学の授業をここで担当していたアントン・ブルックナーと知り合うのもこの時期である。
 ちなみに、若きマーラーが学生としてウィーンで過ごしていた1870年代後半(日本では明治初期)というのは、音楽史でいえば少し前の世代の作曲家たちが同時代人として作品を発表していた時期でもあった。例えば、ブラームスの交響曲第2番やブルックナーの交響曲第3番改訂版(マーラーはそのピアノ4手用編曲に携わる)がウィーン・フィルにより初演されたのは、マーラーがウィーン音楽院で学んでいた1877年のことである。
 ウィーンでの学生生活のあと、確たる定職もないまま生活をしていたマーラーが、歌劇場での仕事に最初に就くことができたのが、当時はオーストリア帝国内にあったライバッハ(現在はスロヴェニアの首都リュブリャナ)だった。これが1881年のことで、このあとオルミュッツ(現オロモウツ)、カッセル、プラハ、ライプツィヒ、ブダペストと、比較的短い期間、歌劇場での指揮者の仕事を積み重ねながら、次第に評価を高めていく。そして、1891年、31歳の年に、以後7年間、経営者との反目に悩みながらも、首席楽長としてオペラの指揮をつとめることになるハンブルク市立歌劇場に着任する。1881年にウィーンを去ってから、ハンブルクでの最後の年となる1897年までの17年間(21歳から37歳までのあいだ)、マーラーは、少しの例外を除いて、ほぼウィーンとは離れた生活を送っていたということになる。
 マーラーの初期の交響曲(第1―4番)は、アルニムとブレンターノの編纂による民謡詩集『少年の魔法の角笛』(1806―08年)とつながりをもち、「角笛交響曲」という呼称でまとめられることも多い。この民謡詩集が出版されたのは、「ドイツ」としてのくくりをかろうじて保持していた神聖ローマ帝国が、ナポレオンによるドイツの諸領邦占領によって1806年に消滅した時期である。それによってドイツの民族的ナショナリズムの高まりが生まれていたまさにその時期に、ドイツの民衆文化に目を向けるかたちで『少年の魔法の角笛』は収集・編纂された。「グリム童話」として知られるグリム兄弟編纂の『子どもと家庭のメルヒェン集』第1巻・第2巻の初版はそれぞれ1812年、1815年に刊行されているが、これらも『少年の魔法の角笛』を収集・編纂したのと同じ意図にもとづくものである。

『少年の魔法の角笛』第2巻(1808年初版挿絵)
(Wikimedia Commons)

 『少年の魔法の角笛』の詩による歌曲は、マーラーが20代前半の頃からかなり長い年数にわたって個々の作品として作曲されていたものであり、このタイトルによる歌曲集として出版されたものは、のちにそれらが集められたものである。交響曲第2番、第3番、第4番で、マーラーがこの詩集からテクストを選び出して作曲しているのも、そういった流れの中でのことだが、いずれにしても、マーラーが『少年の魔法の角笛』のさまざまな民衆詩で描かれる自然、敬虔な宗教的感情、愛、別れ、死、悪ふざけや、それを語る素朴な詩の言葉そのものに、偏愛と言ってもよいほどの感情をもって惹きつけられていたことはまちがいない。
 『少年の魔法の角笛』とのつながりをもつ初期の交響曲は、いずれも、1897年に始まるウィーン宮廷歌劇場の音楽監督の時代以前に作曲されているか、あるいはその時代に深く関わるものである。交響曲第1番「巨人」も第2番「復活」も、作曲の時期は、複数の歌劇場の時期にまたがっている。ハンブルク時代の1893年以降1896年までのあいだ、マーラーは夏の休暇をオーストリアのザルツカンマーグートにあるアッター湖畔のシュタインバハで過ごしていた。ドイツの北にあるハンブルクからはかなりの距離である。歌劇場のシーズン中は、作曲のための時間をとることが難しいため、夏の休暇のあいだに作曲に集中して作品を生み出していたのである。1897年にウィーン宮廷歌劇場の監督になって以降、休暇の場所は別のところに移ることになるが、マーラーの創作の進め方は基本的にこのようなものだった。

アッター湖畔のマーラーの「作曲小屋」
(Wikimedia Commons)

 マーラーはハンブルク時代の終わり頃、このシュタインバハの湖畔に作曲小屋を建て、そこにピアノや机を備え付けて作曲にあたっていた。交響曲第2番「復活」が完成したのもこのアッター湖畔の村だったが、この交響曲第3番の作曲に取り組んでいた1895年から1896年もまた、彼がこのシュタインバハで夏を過ごしていた時期であった。そういう意味では、交響曲第3番は、たしかにマーラーのハンブルク時代の作品であり、多忙な職務のかたわらなんとかこの交響曲の作曲を続けていたとしても、これはハンブルクの音楽ではなく、まさにザルツカンマーグートの美しい自然に囲まれたアッター湖畔の音楽であると言ってよいだろう。
 マーラーは当初、この交響曲第3番の各楽章に対して標題を与えていた。主に作曲に取り組んでいた1895年から1896年にかけて、マーラーはいろいろな友人・知人に宛てて、そのアイディアを知らせている。標題や構成は作曲のそれぞれの段階で少しずつ変わってゆくところもあるのだが、最終的に作品の完了を告げた手紙(マルシャルク宛、1896年8月6日)の中で、マーラーは次のような構成と標題を示している。

夏の真昼の夢
第1部
 導入:牧神(パン)が目覚める
 No.Ⅰ:夏が行進してくる(バッカスの行列)

第2部
 No.Ⅱ:野原の花々が私に語ること
 No.Ⅲ:森の獣たちが私に語ること
 No.Ⅳ:人間が私に語ること
 No.Ⅴ:天使たちが私に語ること
 No.Ⅵ:愛が私に語ること

 もっと前の段階では、交響曲全体のタイトルとして、「幸福な生」や、ニーチェの著作の表題をそのまま冠した「悦ばしき知識」もあわせて掲げられていたときもある。また、第7楽章として、「子どもが私に語ること」あるいは「天上の生活」という標題をもつ、やはり『少年の魔法の角笛』からとられたソプラノ独唱の楽章も想定されていた。これはもともと1892年に作曲していた歌曲にもとづくものだが、結局この楽章は、交響曲第3番には含められず、交響曲第4番の最終楽章に取り入れられることになった。また、最終的な段階で、第1楽章のみを「第Ⅰ部」とし、第2楽章から最終楽章までを「第Ⅱ部」とする括り方が採用される。
 交響曲第3番の成立の過程を見ていくと、マーラーがそれぞれの楽章やその細部に対して、また曲全体に対して標題的な感覚をもって音楽を作り上げていたとはっきりわかる。しかし、他方でマーラーは、標題音楽に対して明確に距離をとろうとする言葉も若い頃から示していた。最終的に、この交響曲第3番でも、すべての標題をスコアから消し去って出版することになる。マーラーの交響曲の中でも最も長大なこの6楽章の作品を聞くときには、もともと想定されていた標題を思い描きながら受け止めることによって、音楽のイメージが明確になっていくのはまちがいない。しかし、それとともに、そのような標題にとらわれることなく音楽を感じ取ることこそ、マーラーが標題を消し去ったことのもつ大切な含みでもあるのだろう。

第1楽章 力強く 決然と
 この第1楽章だけでも35分から40分ほどの演奏時間であり、これは例えばベートーヴェンの交響曲第5番全曲の演奏時間よりも長い。この長大な楽章には、伝統的なソナタ形式に見られる提示部―展開部―再現部という構成を見て取ることもできる。しかし、それ以上に、この長大な第1楽章の中に現われるさまざまな主題や曲想の移り変わりを聞き手は楽しんでいくことになるだろう。
 冒頭は、8本のホルンのユニゾンによる行進曲風の主題で始まる。しかし、すぐに葬送行進曲の音楽となり、自然の中の音楽(「牧神(パン)は眠っている」というマーラーのメモ)のあとには、トロンボーンのソロによるレシタティーヴォ風の音楽が続く。自然の描写や軍隊の音楽の断片など、さまざまな音楽の要素が入り込んでくるが、これらの音は、ボヘミアの田舎町イーグラウで幼少期を過ごしていたマーラーが実際に慣れ親しんできたものだった。このあとも「展開部」にあたる部分では、行進曲風の音楽のうちに戦闘的な要素さえも現れる。そして、もう一度、ホルンのユニゾンによる冒頭の主題が現れて、「再現部」がここから始まる。
 楽章の標題だけでなく、楽章内のいくつかの箇所に対して、マーラーは標題となるようなメモを残しているので、そういったものをたどってゆくと、この箇所は何を表している音楽なのだと見て取ることもできなくはない。しかし、そういったことを離れて音楽そのものの移りゆきをたどってゆくことこそ、マーラーが思い描いていたことなのかもしれない。全曲の中で、この第1楽章が最後に完成したようだ。

第2楽章 テンポ・ディ・メヌエット かなり落ち着いて
 さまざまな人への書簡の中で、交響曲第3番のそれぞれの楽章の標題が少しずつ変わっているのだが、第2楽章のための「野の花たちが私に語ること」という言葉は、一貫して保たれている。冒頭の4分の3拍子によるオーボエの旋律に導かれる素朴な主題は、いかにも「野の花たちが私に語ること」を表しているようにも聞こえるのだが、この楽章に含まれる二つのトリオ部分はかなりちがった性格の音楽である。

第3楽章 気楽に 戯れるように 急がず
 マーラーが「森の獣たちが私に語ること」というメモを残しているこの第3楽章は、はじめの二つの楽章以上に、マーラーの自然への愛情がひときわ強く表れているように思える。この少し長めの楽章にもさまざまな要素が含み込まれていて、「スケルツァンド(戯れるように)」という標語が冒頭に掲げられてはいるものの、いわゆる「スケルツォ」の性格とはまったく異なる。とりわけ、ポストホルンによって演奏される部分(2回ある)は、とても叙情的でのどかであり、「スケルツァンド」という言葉で思い描かれるものとはまったくちがうのだが、「気楽に」という言葉は、安心して歩くことのできる森の中をゆったりと(ときどき気ぜわしくなるけれども)散策しているような感覚なのだろう。楽章の終わり近くに現れるホルンのユニゾンによる強奏のパッセージは、森の中で人間的なものから遠く離れた異質なもの(「命のない自然の重い影」とマーラーが呼んでいる「岩山」のイメージか)が突然出現するかのようだ。

第4楽章 非常にゆっくりと 神秘的に
 「人間(夜)が私に語ること」という標題をもともと想定していたこの第4楽章では、ニーチェの『このようにツァラトゥストラは語った』のほぼ最後に出てくる詩が、アルトのソロにより歌われる。この著作は1880年代の前半に第1部から第4部が執筆のたびに分散して出版されていたのだが、1892年にはじめてすべてがまとめられたかたちで出版される(ちなみにこの時点でニーチェはすでに狂気の淵に沈み込んでいた)。それにより、このニーチェの著作は1890年代の半ば以降、ドイツ語圏の知識人のうちに多大な影響を与えることになる。興味深いことに、ともに読書家であったR.シュトラウスとマーラーが『このようにツァラトゥストラは語った』にもとづく交響詩と交響曲第3番をそれぞれ発表したのは、同じ1896年のことだった。
 R.シュトラウスのスペクタクル的な交響詩は、音楽作品そのものとしてはもちろんきわめて魅力的なものであるとしても、ニーチェが著作の中で語っていたこととはかけ離れた音楽である。マーラーがこの第4楽章で静かに内省的に語りかける音楽は、R.シュトラウスのニーチェの受け止め方とまったく異なるものではあるが、これもまた、19世紀を通じてかたちづくられてきたドイツの同時代人のメンタリティを強烈に批判し、あらゆる快楽とともに苦痛も永遠に回帰することを受け入れるニーチェの思考とはおそらく相容れないものであり、マーラーはここで自分自身の感じる「深さ」や「永遠」を求めるような世界の中に入り込んでいる。そうだとしても、この楽章にはマーラーがニーチェから感じ取ったものが、ニーチェの思想とは別のものとして、すぐれたかたちをとって現れている。

第5楽章 テンポは楽しく、表現は大胆快活に
 第1楽章から第3楽章にかけて音楽は自然の中をめぐってゆき、第4楽章で人間の深い精神のうちに入り込んだのち、5分にも満たないこの第5楽章は天上の天使たちの音楽となる。『少年の魔法の角笛』の中の詩「貧しい子どもたちの物乞いの歌」が、少年合唱と女声三部合唱、そしてアルトのソロによって歌われる。冒頭の児童合唱による「ビム、バム…」という楽しい歌声は、鐘の音を模したものだ。

第6楽章 ゆっくりと 静けさのうちに 感情に満たされて
 この巨大な交響曲の最後は、長大なアダージョの楽章により、マーラーの構想によれば、「愛が私に語ること」が描き出される。それによって、音楽はふたたび地上の人間の世界に回帰することになる。最後の壮大なニ長調の響きは、まさに「感情に満たされた」ものだ。

歌詞(対訳:山口 裕之)

第4楽章
O Mensch! O Mensch!
 おお、人間よ おお、人間よ
Gib Acht! Gib Acht!
 心せよ 心せよ
Was spricht die tiefe Mitternacht?
 深い真夜中が語っているのは何か
Ich schlief! Ich schlief!
 私は眠っていた 私は眠っていた
Aus tiefem Traum bin ich erwacht!
 深い夢から私は目覚めた
Die Welt ist tief!
 世界は深い
und tiefer, als der Tag gedacht!
 昼が考えていたよりも、さらに深い

O Mensch! O Mensch!
 おお、人間よ おお、人間よ
Tief! Tief!
 深い 深い
Tief ist ihr Weh! Tief ist ihr Weh!
 世界の苦痛は深い
Lust – Lust – tifer noch als Herzeleid!
 快楽 ―― 快楽は、心の悩みよりもさらに深い
Weh spricht, Vergeh! Weh spricht, Vergeh!
 苦痛は語る ―― 過ぎ去れ!
Doch alle Lust will Ewigkeit!
 しかし、あらゆる快楽は永遠を欲する
will tiefe, tiefe Ewigkeit.
 深い、深い永遠を欲する
[Aus Also sprach Zarathustra]
 [ニーチェ『このようにツァラトゥストラは語った』より]

第5楽章
(Bimm bamm bimm bamm …)
 (キーン コーン カーン コーン …)
Es sungen drei Engel einen süßen Gesang;
 三人の天使がかわいらしい歌をうたっていた
mit Freuden es selig in dem Himmel klang,
 天国では清められた喜びの響きが鳴っていた
sie jauchzten fröhlich auch dabei,
 天使たちはうれしそうに歓声をあげた
Daß Petrus sei von Sünden frei,
 ペトロは罪から解き放たれたと
er sei von Sünden frei.
 罪から解き放たれたと

Und als der Herr Jesus zu Tische saß,
 イエスさまが食卓について
mit seinen zwölf Jüngern das Abendmahl aß:
 12人の弟子たちと晩餐をとっていたとき
Da sprach der Herr Jusus: Was stehst du denn hier?
 イエスさまはおっしゃった ―― おまえはなぜここに立っているのだ
Wenn ich dich anseh’, so weinest du mir!
 見たところ、泣いているようだが

Und sollt’ ich nicht weinen, du gütiger Gott.
 やさしい神さま、泣いていけないわけがありましょうか
(Du sollst ja nicht weinen! Sollst ja nicht weinen!)
 (泣いてはいけないよ!泣いてはいけないよ!)
Ich hab’ übertreten die zehn Gebot.
 私は十戒をやぶってしまったのです
Ich gehe und weine ja bitterlich.
 私は出て行って、はげしく泣きましょう
(Du sollst ja nicht weinen! Sollst ja nicht weinen!)
 (泣いてはいけないよ!泣いてはいけないよ!)
Ach komm und erbarme dich!
 ああ、どうか来て、憐れんでください
Ach komm und erbarme dich über mich!
 ああ、どうか来て、私を憐れんでください

Hast du denn übertreten die zehn Gebot,
 十戒をやぶってしまったのなら
so fall auf die Knie und bete zu Gott!
 ひざまずいて神に祈りなさい
Liebe nur Gott in alle Zeit!
 いつまでも神だけを愛しなさい
So wirst du erlangen die himmlische Freud’.
 そうすれば天の喜びを得ることになるだろう

Die himmlische Freud’ ist eine selige Stadt,
 天の喜びは清らかな幸せの都
die himmlische Freud’, die kein Ende mehr hat!
 天の喜びは終わることがない
die himmlische Freude war Petro bereit’t,
 天の喜びはペトロに与えられた
durch Jesum und Allen zur Seligkeit.
 イエスさまによって、そしてみなに 清らかな喜びへといたるよう
[Aus Des Knaben Wunderhorn]
 [(『少年の魔法の角笛』より]

*括弧内はマーラーが追加した歌詞。第4楽章、第5楽章ともに、マーラーによって、テクストに感嘆符の追加や引用符の削除、言葉の繰り返し、表記の変更など、原文がさまざまな点で書き換えられている。スコアに書き込まれたテクストに基本的にしたがった。

初演:
全曲の初演は、1902年6月9日、クレーフェルト、グスタフ・マーラー指揮、クレーフェルト市立管弦楽団、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団、ルイーゼ・ゲラー=ヴォルター(アルト)、オラトリオ協会女声合唱団、聖アンナ児童合唱団による。それ以前に、第2楽章が1896年11月9日、ベルリン、アルトゥール・ニキシュ指揮、ベルリン・フィルによって、第3、6楽章(第2楽章も)が1897年3月9日、ベルリン、フェリックス・ヴァインガルトナー指揮で王立管弦楽団により初演されている。

楽器編成:
フルート4(3,4番はピッコロ持ち替え)、オーボエ4(4番はコールアングレ持ち替え)、クラリネット3(3番はバスクラリネット持ち替え)、Esクラリネット2(2番はクラリネット持ち替え)、ファゴット4(4番はコントラファゴット持ち替え)、ホルン8、トランペット4、ポストホルン1、トロンボーン4、バステューバ、ティンパニ(奏者2人)、大太鼓、ルーテ(むち)シンバル付き大太鼓、合わせシンバル(一部複数)、吊りシンバル、小太鼓(舞台上と舞台袖・複数)、トライアングル、タンブリン、タムタム(銅鑼)グロッケンシュピール、調律された鐘(6本)、ハープ2、弦五部、アルト独唱、児童合唱、女声合唱

参考文献
  • Des Knaben Wunderhorn. Alte deutsche Lieder, gesammelt von L. Achim von Arnim und Clemens Brentano. Wissenschaftliche Buchgesellschaft Darmstadt, 1995.
  • Gustav Mahler, „Brief an Max Marschalk : 06.08.1896“ (Digitalisierte Sammlungen der Staatsbibliothek zu Berlin Werkansicht: Brief an Max Marschalk : 06.08.1896 (PPN860364046 – {4} – overview-info))
  • Friedrich Nietzsche, Also sprach Zarathustra, Reclam, 1980.
  • Wolfgang Schreiber, Mahler. In Selbstzeugnissen und Bilddokumenten, Rhwohlt Taschenbuch, 1971.
  • Bernd Sponheuer und Wolfram Steinbeck (Hrsg.), Mahler Handbuch, Metzler/Poeschel, 2010.
  • Renate Ulm (Hrsg.), Gustav Mahlers Symphonien, Bärenreiter, 2010.
  • ヘルタ・ブラウコップフ編(須永恒雄訳)『マーラー書簡集』法政大学出版局 2008年
  • 長木誠司『グスタフ・マーラー全作品解説辞典』立風書房 1994年
  • コンスタンティン・フローロス(前島良雄・前島真理訳)『マーラー 交響曲のすべて』藤原書店 2005年
  • 前島良雄『マーラー 輝かしい日々と断ち切られた未来』アルファベータ 2011年
  • フリードリヒ・ニーチェ(吉沢伝三郎訳)『このようにツァラトゥストラは語った(上・下)』講談社文庫 1971年
  • アルフォンス・ジルバーマン(柴田南雄監修・山我哲雄訳)『グスタフ・マーラー事典』岩波書店 1993年
  • Wikimedia Commons、以下のファイル
    • File: Gustav-Mahler-Kohut.jpg
    • File: Des Knaben Wunderhorn II (1808).jpg
    • File: Mahlers Komponierhäuschen.jpg

(アクセス日:全て2025年12月10日)

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