今村 泰也(ヴァイオリン)
多くの人は、誰が作曲したかってことは気にしないで映画を見に行って、いい音楽だ、と知らないうちに感じたりしているわけです。そうしたことは、僕はとても大事だと思う。
(武満徹「映画と音楽」明治学院大学横浜校舎での講演 1991年)
映画音楽の役割は、映像が示さないもの、映像だけでは表現できないものを顕在化することにある。
(武満徹「夢の引用」岩波書店 1984年)
「波の盆」は、明治期にハワイ・マウイ島に渡った日系移民1世が主人公の95分のテレビドラマです。1983年11月15日に日本テレビで放送されました。制作は日本テレビとテレビマンユニオン、脚本は倉本聰、監督は実相寺昭雄、そして音楽は武満徹が手掛けました。
移民1世の山波公作(笠智衆)は、ハワイのサトウキビ畑で過酷な労働に耐えつつ、理髪店を開き、家庭を築き、子どもたちを立派に育て上げました。しかし1941年、日本軍による真珠湾攻撃がきっかけで、その平穏な日常は一変します。成長した子どもたち、すなわち日系2世たちは、アメリカ軍の日系人部隊としてヨーロッパ戦線に派遣され、過酷な戦争を経験します。
物語は、公作が最愛の妻・ミサ(加藤治子)を亡くして初めて迎える「お盆」の一日を描きます。その日、公作のもとを若い女性・美沙(石田えり)が突然訪れます。彼女は、かつて日本で亡くなったはずの四男・作太郎(中井貴一)の娘だと名乗ります。思いがけない来訪をきっかけに、公作の中で封じ込められていた過去と、現在を生きる現実が交錯し始めます。かつて海を渡り、時代のうねりに翻弄されながらも家族を守り抜いた男の、記憶と想いが浮かび上がる感動のドラマです。
本日は武満徹自身が演奏会用に編集した作品をお届けします。作品は6つの部分で構成されています。
Ⅰ. 波の盆
冒頭は、若き日の妻・ミサの面影が立ち現れる幻想的な響きで幕を開けます。やがて、ミサの葬儀に向かう日系人たちの姿に、カンタービレ・エスプレッシーヴォの旋律(譜例1)が重なり合います。柔らかく包み込むようなハーモニーが全体を優しく彩ります。

Ⅱ. 美紗のテーマ
抒情あふれるメロディー(譜例2)が、日本から訪ねてきた孫・美紗の純真さと優しさに寄り添うように繰り返され、「波の盆」のテーマが再び静かに蘇ります。

Ⅲ. 色褪せた手紙
孫・美紗は、父(四男・作太郎)が生前に母・ミサに宛てた古い手紙を遺品の中から見つけ、それをわざわざマウイ島まで届けに来る場面(譜例3)。不安げな和声進行が続き、「波の盆」のテーマが静かに蘇ります。

Ⅳ. 夜の影
真珠湾攻撃による開戦以降、日系1世は、子どもたちがアメリカ国籍を持つという複雑な緊張関係の中で生きることを強いられます。いつ収容所に連行されてもおかしくない緊迫した状況が画面に映し出され、硬質な響きの音楽がその緊張感を増幅させます。唐突に米軍の行進曲(譜例4)が挿入されますが、次の瞬間には、累々と並ぶ屍を連想させる悲痛なメロディーが続きます。この「夜の影」のテーマは、ミサが広島の原爆で両親と姉を失ったと公作に告げる場面でも、沈痛な響きとともに画面に重なります。

Ⅴ. ミサと公作
「美紗のテーマ」に導かれ、「波の盆」のテーマが再び現れますが、しばらくすると短調に変わり、回想の場面へと移行します。ドラマの白眉、マウイ島の夕日が輝くマケナの浜で、妻の死期を悟った公作(笠智衆)とミサ(加藤治子)が会話を交わす感動的な場面では、武満徹の心温まる音楽が二人を優しく包み込みます。
Ⅵ. 終曲
ドラマの終幕では、再び「色褪せた手紙」と「波の盆」のテーマが蘇り、徐々に楽器編成が増えていきます。そして心を揺さぶるメロディーが作品を見事に締めくくります。
収録時演奏:岩城宏之指揮、東京コンサーツ
公開初演:1996年9月14日、八ヶ岳高原音楽堂にて、岩城宏之指揮、八ヶ岳高原音楽祭祝祭オーケストラ
楽器編成:
フルート2、オーボエ、クラリネット2、Esクラリネット、ホルン3、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、小太鼓、グロッケンシュピール、タムタム、テューブラーベル、ヴィブラフォン、シンバル、大太鼓、マリンバ、ハープ、チェレスタ、シンセサイザー、弦五部
参考文献
- 武満徹「映画と音楽」明治学院大学横浜校舎での講演 1991年
- 武満徹「夢の引用」岩波書店 1984年
- 長木誠司 + 樋口隆一編「武満徹 音の河のゆくえ」平凡社 2000年
- 八ヶ岳高原音楽堂ヒストリー(アクセス日:2025年4月27日)
- 碓井広義「放送35周年、芸術祭大賞ドラマ『波の盆』をめぐって」(2018年9月11日)
- DVD 「波の盆」バップ 2003年、パイオニアLDC 2005年