バセットホルンのはなし

品田 博之(クラリネット)

1.バセットホルンとは

 来る7月31日(金)の夜、東京カテドラル聖マリア大聖堂での合唱のコンサートにおけるモーツァルトのレクイエムで新交響楽団がオーケストラを担当させていただくことになりました。モーツァルト生涯最後の未完の傑作(弟子らの補作により完成版が複数あります)、宗教音楽の最高峰でありながらわかりやすい楽想で、かつ曲が長すぎないことから初めて宗教音楽を聴く人にもやさしい名曲です。この曲の管打楽器の編成はかなり特殊で、古典派以降のオーケストラ曲には常連のフルート、オーボエ、ホルンが含まれず、バセットホルン2,ファゴット2、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニというものです。なんだホルンあるじゃないかと思う人もいるかもしれませんがホルンと名がつくけれど全然違います。バセットホルンとは普通のクラリネットより低い音域をカバーするクラリネット族の楽器で、18世紀半ば以降に普及しました。バスクラリネットや、吹奏楽でしか使われないアルトクラリネットのような外観をしています(図1)。

図1:バセットホルン
BUFFET CRAMPON Prestige
図2:古典バセットホルン
ハンブルク工芸博物館(出典

 ですがモーツァルトの時代(18世紀中ごろ)のバセットホルンは現代とは似ても似つかない図2のような形をしていました。モーツァルトはこの楽器を偏愛しており、あの有名なクラリネット協奏曲も最初はバセットホルンのために書き始めたようで、同じ楽想で1楽章の途中まで書かれたバセットホルンのためのト長調(G‐dur)の曲の自筆譜が残っています。現代のバセットホルンはすべてF管(楽譜のドの音を吹くとファ(F)が出る移調楽器)ですが当時はG管(ソ(G)が出る)もあったのです。さてモーツァルトのレクイエムに書かれているバセットホルンの音はバセットホルンにとっては高い音域ばかりが使われていて演奏する奏者には少々ストレスがかかります(特に1番バセットホルンのパート)。普通のクラリネットならば容易に出せる音域なのになぜモーツァルトはバセットホルンを使ったのか?オーボエやフルートでは絶対に表現できない、そして普通のクラリネットでもおそらく難しい、鄙びた柔らかい音、抜けのよいネアカな音とは対極にある内にこもったちょっと苦しい感じの音がなんとも言えない味わいを醸しだし、レクイエムという暗鬱な曲にぴったりなのです。この曲の冒頭のファゴット⇒バセットホルンと音が重なってくるところを聴けば一瞬でその魅力に気が付くことでしょう。
 さて、現代のバセットホルンがなぜ図2のような形でなく、図1のようにアルトクラリネットやバスクラリネットに似ているのかですが、19世紀半ば以降この楽器がほとんど忘れられてしまった時代があり、その後復活させるときに製作のしやすさや操作性を考慮したためのようです。このインパクトのある形状が伝えられなかったのはちょっと残念な気がします。

2.バセットホルンが活躍する曲(モーツァルト以降)

 クラシック音楽の名曲が多数生み出された19世紀には前述のように残念ながらバセットホルンが廃れてしまい、オーケストラに採用されるどころか室内楽曲にもほとんど使われなくなってしまいました。理由はいろいろあるのだと思いますが大きな会場の隅々まで通る華やかな音ではないこと、クラリネットである程度は代替できること、クラリネットでは出せない低音域を効果的に響かせられるバスクラリネットが開発されたことなどが思いつきます。ではモーツァルト以後後期古典派からロマン派の時代にバセットホルンの曲が全くなかったのかというとそうでもありません。ここではバセットホルンを聴くべき名曲をいくつか挙げてみましょう。
 まずベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」です。序曲だけはよく演奏されますが序曲以外に序奏と16曲から成るバレエ音楽で構成されており、第2幕の第14曲にはバセットホルンの大ソロがあります。オーボエと絡んで二重協奏曲のような6分くらいの曲です。以下からお聴きになれます。

 次はメンデルスゾーンの演奏会用小品、へ短調(作品113)とニ短調(作品114)の二曲。特徴のないタイトルだけ見ると聴く気を失うかもしれませんがクラリネットとバセットホルンのコンチェルトのような曲で、メンデルスゾーン特有のメランコリックな中間部を二本の楽器が名人芸的に絡み合う爽快な楽章で挟むというカッコいい曲でそれぞれ10分未満という、聴くのにも手ごろな隠れた名曲なのです。ぜひ聴いてみてください。作品113のリンクを貼っておきます。

 さらになんとあのバッハのマタイ受難曲にもバセットホルンが使われている版があるのです。なぜ17世紀の作曲家のバッハの作品に18世紀に生まれたバセットホルンが使われているのかというとメンデルスゾーンの仕業なのです。バッハの曲は19世紀前半にはほとんど演奏されることがなくなってしまいました。それをメンデルスゾーンが発掘し当時のオーケストラで再演することを試みたのです(1829年,1841年)。その際にオーボエダカッチャ、オーボエダモーレというバッハの時代にはあったが19世紀にほぼ完全に忘れられてしまった少し大型のオーボエ族楽器の代わりにA管のクラリネットとF管のバセットホルンを使用しました。オーボエダカッチャよりはまだバセットホルンのほうが楽器も奏者も残っていたのでしょう。
 その後の作曲家はバセットホルンを無視しています。突然脚光を浴びるのは20世紀初頭、モーツァルトの音楽が大好きだったリヒャルト・シュトラウスのオペラ「エレクトラ」まで待たねばなりません。残念ながら彼の交響詩には登場しませんが「エレクトラ」の巨大編成オーケストラにバセットホルンが二本も登場します。その後あの有名な「ばらの騎士」でも活躍しますし、その後の「ダフネ」「カプリッチョ」にも効果的に使われています。また晩年の管楽器のためのソナチネ第1番、第2番はモーツァルトのセレナーデ第10番「グランパルティータ」のオマージュとして作曲された16の管楽器のための曲でそこでもバセットホルンが重要な役割を担っています。

3.バセットホルンが活躍する曲(モーツァルト)

 時代が前後しますが、バセットホルンで一番たくさんの名曲を書いたのはやはりモーツァルトです。ここではいくつかの曲を紹介していきましょう。
 耳にできる機会が一番多いのはセレナーデ第10番 変ホ長調「グランパルティータ」(K.361) でしょう。12の管楽器とコントラバスによる特大編成の室内楽曲で、本来の楽器指定ではないですがコントラバスをコントラファゴットで演奏することもまれにあり “13管” という俗称で呼ばれることもあります。

この曲の第3楽章は有名な映画「アマデウス」でサリエリがモーツァルトの才能に初めて触れその圧倒的な美しさに衝撃を受ける、物語序盤の印象的なシーンで使われています。
 次によく耳にするのは管楽器3本のための五つのディベルティメント (K.439b) です。おそらくバセットホルンではなくクラリネット3本や、フルートやオーボエを含む木管楽器3本での演奏のほうでなじみがあるかもしれません。オリジナルはバセットホルン3本のために書かれた二十数曲の小曲をモーツァルトの没後に楽譜出版社が再編して4~5楽章構成の複数のディベルティメント集として出版したもののようです。どれも楽しく聴きやすい曲で緩徐楽章はそのままオペラのアリアになりそうな美しいメロディーにあふれています。音域的にはバセットホルンで聴いてこそ、この曲の魅力が最大に引き出されると思います。第1番第1楽章の動画を挙げておきます。

 オペラでもバセットホルンが大活躍します。最晩年、魔笛と並行して書かれたオペラ「皇帝ティート(ティトゥス)の慈悲」(K.621) の第二幕このオペラの最大の見せ場となるアリア(正確にはロンド “Non più di fiori”)の後半でソリストの歌手と同じくらい目立つ形でオブリガートとして魅力的な中低音を聴かせます。以下のリンクはバセットホルンが活躍する中盤から再生されるようになっています。

 そしてレクイエムは前述したとおりの傑作。そのほかにも聴くべき曲が多いですがこの辺にしておきましょう。

4.モーツァルトとシュタートラー兄弟

図3:古典バセットクラリネット

 モーツァルトとバセットホルンの話をするならシュタートラー兄弟に触れないわけにはいきません。兄のアントン・シュタートラーはモーツァルトの親友・悪友で博打友達だった名クラリネット奏者です。弟ヨハン・シュタートラーもクラリネット奏者でした。そしてモーツァルトが書いたクラリネットやバセットホルンの曲のほとんどがアントンまたは兄弟で演奏することを想定して書かれました。アントン・シュタートラーはクラリネットの低音域が特に好みでバセットホルンをよく演奏したようです。さらに普通のクラリネットにもバセットホルンに近い低音域を加えることを試みてバセットクラリネットというものを開発しています(図3)。先端の里芋のような不思議な形のベルが特徴で、普通のクラリネットは楽譜上の下加線3本の下のミの音までしか出ませんがこの楽器ではその下のド、さらに裏技を使えばシまで出せます。あの有名なクラリネット協奏曲はこの楽器のために書かれました。この楽器は現存しておらず1990年代に発見されたシュタートラーの演奏会のプログラムにあった挿絵を基にレプリカが製作されています。手前味噌でたいへん恐縮ですが、その楽器のレプリカで新交響楽団のメンバーにより弦楽四重奏伴奏版で演奏した動画のリンクを貼っておきます。

 ここで厄介なのはバセットという頭の言葉です。 “ちょっと低い” を意味する語のようですがバセットホルンとバセットクラリネットを混同することが頻発しています。最近では業者のCDの紹介文やコンサートの紹介文でも誤用されていましたのでご注意ください。バセットホルンはF管で小型のバスクラリネットのような見た目(図1)、古典楽器は “く” の字に折れ曲がった楽器(図2)。バセットクラリネットはA管(B管もまれにある)で見た目的にはやけに長いだけのクラリネット、古典楽器は先端が直角に折れ曲がって芋のようなベルがついている楽器です(図3)。
 最後に、アントンは演奏以外かなりいい加減な人だったようで博打でいつもお金に困っていたとの説があります(モーツァルトも、ですね(笑))。そしてモーツァルトの死後、彼のクラリネットやバセットホルンの曲を演奏するために預かっていた多数の自筆譜を金に困ってカバンごと質に入れて返済できず流してしまったという説があります。本人は盗難にあったのだとモーツァルトの妻に報告したそうですが。そのため多くのクラリネットの曲の自筆譜がいまだに行方不明のままだというのです。たいへん残念なことです。今からでも古い建物の天井裏や倉庫から発見されないものでしょうか。 長々とバセットホルンからシュタートラーの話まで紹介してまいりました。ここまで読んだら生のバセットホルンを聴きたくなられたことでしょう。ぜひ7月31日の夜、目白の大聖堂にバセットホルンの響きを聴きにいらしてください。

〈福島復興祈念〉モーツァルトでつながる東京 ― 福島

2026年7月31日(金) 19時開演 東京カテドラル聖マリア大聖堂
指揮:四野見 和敏

  • モーツァルト/レクイエム ニ短調(ジュースマイヤー補筆版)ほか

演奏会の詳細はこちら

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