藤井 泉(ピアノ)
新交響楽団が所有しているヤマハ製のチェレスタは1998年に維持会の貴重な会費で購入したもので、購入に至るまでの経緯は2004年9月の維持会ニュース(こちら)に詳しく記したのでお時間があればご一読いただきたい。そして2025年秋、購入から2度目のオーバーホールを維持会費で行ったこともあり、この機会にあまり知られていないチェレスタという楽器について述べてみようと思う。
「チェレスタってどんな楽器」と聞かれることはよくある。ひと昔前なら「チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」の『こんぺいとうの踊り』で使われている鍵盤楽器」と答えるとほぼ皆さんが理解してくれたように思う。一昔前は「くるみ割り人形」が音楽の教科書の指定鑑賞曲になっていたし、クリスマスの定番音楽の一つでもあった。だが今はどうもピンとこない方が多いように感じる。昨今チェレスタという楽器を劇的に世界中に広めたのはアメリカ人作曲家のジョン・ウィリアムズと断言できる。ハリウッド映画「ハリーポッター」冒頭のソロ「ヘドウィグのテーマ」で使用されている楽器こそがチェレスタである。J.ウィリアムズはチェレスタを多用する作曲家で実は「スター・ウォーズ」や「E.T.」にも使われている。また偶然であろうか、今やクリスマスの定番映画となった「ホーム・アローン」冒頭のチェレスタのソロは『こんぺい糖の踊り』に極めてよく似ている。そして物語が進行してクリスマスイブにたった一人でお留守番をしているアメリカの少年ケビンくんが数々の困難に遭遇する時、ケビンくんの叫びと同時にオーケストラ全楽器で奏でられる音楽は同バレエ音楽の「トレパック(ロシアの踊り)」にそっくりである。もしかしたらチャイコフスキーへのオマージュとして作曲されたのかと思うほどだ。いずれにせよロシアのクララのクリスマスはアメリカのケビンくんに受け継がれた感がある。
🔷チェレスタあるある
さて私事になるが、私の新響デビュー曲はマーラー「大地の歌」1のチェレスタ・パートであった。この時はキストラとしての参加であったが、最初にパート譜をもらった感想は「弾く箇所が最後しかない、弾く箇所が少ししかない、しかも弾く音が極めて少ない」であり、結果「これは楽勝だ」と安堵したものだ。しかしこれが大きな誤算であったことは早くも初回の練習で気がつくことになる。長大な曲の最後の最後まで出番がない上に、それが静寂の中で演奏する極めて重要なソロである(と思っている)。間違いは絶対に許されない。それまでオーケストラのメンバーが数々の難所を突破し、高難度のアンサンブルを繰り広げてきた演奏を最後の一音でぶち壊しかねない。しかも総譜を見てみるとカウントの取り方がトリッキーである。さすがはマーラー、一筋縄ではいかない。この「出番は最後、ただ弾くだけなら超簡単、出方がトリッキー」と3拍子揃ったパターンは、昨年の芥川也寸志誕生100年シリーズで取り上げたショスタコーヴィチ交響曲第4番(第269回演奏会)にも当てはまる。
私見ではあるがチェレスタの使われ方のキーワードとしては「不思議」「この世のものとは思えぬほど美しい」「天国」「不気味」「死」「謎」「子供」「自然の風景」などが挙げられると思う。「大地の歌」の主人公は第6楽章「告別」の最後で永遠に、永遠にと言いながらどこへ行ったのだろうか、ショスタコーヴィチ交響曲第4番の最後は破壊され尽くした死の世界なのだろうか。。。
チェレスタの音色はグロッケンシュピール(鉄琴)にとてもよく似ている。しかしグロッケンが華やかで輝かしい音色なのに対して、チェレスタは儚く、暗い音色が混ざっている。鉱物に例えるならグロッケンが金で、チェレスタはプラチナであろうか。私が好きなチェレスタの出番にR.シュトラウスの歌劇「薔薇の騎士」がある(第221回演奏会)。主人公である美形の貴公子オクタヴィアン(女性が演じる)が婚礼の使者として掲げる銀の薔薇のテーマに用いられているが、もしこれが金の薔薇だとしたらチェレスタがメインとして用いられなかったと想像する。この場面ではチェレスタのほの暗い硬質な音色が効果的に生かされている。
🔷ショスタコーヴィチ交響曲第4番
前述のショスタコ4番であるが、この曲が日本初演された背景は第270回演奏会のプログラムに掲載された座談会(こちら)に詳しく書かれているので省かせていただく。とにかく芥川先生のこの曲に対する気合、覚悟は尋常ではなく、それはステージ下手の末席に座る新人の私にもヒシヒシと伝わってきた。練習も厳しく曲の最後まで辿り着かなかったことは一度や二度ではない。チェレスタをレンタルしたのにもかかわらず一音も出さないまま練習が終了し、当時の練習場であった上野の東京文化会館をトボトボと後にしたものだ。そして大事件は本番当日に起こった。レンタルしたチェレスタが手違いにより4オクターブの小型なものが届いてしまったのだ。これだと最後のD音が音域外で出すことができない。この曲の終盤はハ短調で進行していくが、最後の最後にチェレスタがD音を出すことによって謎を残したまま幕を閉じる。この時は当時の運営陣の懸命の努力によって本番直前に5オクターブの大型チェレスタに差し替えられ、無事に終了することができた。
2回目のショスタコ第4番は2009年にやってきた。まさか2度目が来るとは思いもしなかったが、指揮者の小松一彦氏による練習は同じく尋常ではない厳しさがあった。個人的には前の演目に芥川先生の「チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート」でタッチの全く違うチェンバロを弾いたことにより、疲労困ばいで迎えたショスタコ4番であった。今振り返ればマエストロの晩年にあたる演奏会でもあったのだが、指揮台に立つその御姿は「ポケモン」に登場するロケット団の榊か、今風に例えれば「鬼滅の刃」の鬼舞辻無惨か。曲も怖いし指揮者も怖い、もう何もかもが怖い、怖すぎる。本番が終わった舞台上で「やれやれ終わった、残りの新響人生を考えるともう2度とこの曲を弾くことはあるまい」と静かにパート譜を閉じたのを今でも覚えている。まさかその後に3回目がくるとは夢にも思わなかった。
🔷ベルリンで本物のチェレスタに出会う
1993年のベルリン芸術週間に招待された演奏旅行2について語れる団員も少なくなってきたのでここに記しておきたい。これは伊福部昭を師とする作曲家の石井眞木氏のベルリンをはじめとする世界的な実績と名声、そして桁違いの行動力と情熱によって実現したと言っても過言ではない。石井先生のエネルギーと行動力はとてつもなかった。海外への演奏旅行となると個人で運べる大型楽器はチェロまでで、残りはほぼ現地調達に頼ることとなる。私は3泊5日の必要最低日数で組まれた本隊で参加したのだが、ヒースロー経由でベルリンに到着したのはもう暗くなった頃で、なぜだか個別の入国審査がなくポンとベルリンの地に降り立った。当時はそういうものだったのか、招待だったからなのかは謎である。団員が分散して持っていったソリスト用の小さめの打楽器(私のような一般人には鉄の塊、廃材にしか見えない代物多数)も無事に税関を通過した。ちなみに帰路の成田空港では一悶着あったようである。今なら完全にアウトかもしれない。
翌日のゲネプロが行われたフィルハーモニーの舞台には完璧に手入れの行き届いたシードマイヤー製の5オクターブ半の大型チェレスタが用意されてあった。その他の大型楽器も石井先生のご尽力によりドイツ・オペラなどからお借りしたと聞いている。9月とはいえもう真冬の装いのベルリンの冷たく乾燥した空気に響くチェレスタの音は今でも耳に残っている。しかも石井作品の壮大な音響の渦の中でもチェレスタの音は埋もれることなく響いていた。


その後時は流れて2024年1月に新響はシュレーカー作曲「あるドラマへの前奏曲」を取り上げた(第264回演奏会)。恥ずかしながら「シュレーカーって誰?」というところから始まり、いざ曲を聞いてみると度肝を抜かれることになる。この曲におけるチェレスタの活躍は目を見張るものがある。しかも扱い方が独創性に満ち溢れている(ちなみにオケ中ピアノやハープも同じく)。この作品が歌劇「烙印を押された者たち」の「前奏曲」、もしくは「予告編」という位置付けらしいので、オペラの方も聴いてみることにした。録音はドイツ語圏のオーケストラによるものが圧倒的に多くを占めているのだが、私が聴いたベルリン・ドイツ交響楽団のチェレスタの音色を聴いた時、まさに1993年に聴いた音が蘇ってきた。間違いなくシードマイヤー製のチェレスタだと思う。20世紀初頭に頭角を現した「青年ウィーン楽派」のシュレーカーをはじめ、コルンゴルト、初期のシェーンベルクらはチェレスタを多用することが多かった。次々回にあたる2026年10月の第275回演奏会で取り上げるコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲や管弦楽組曲「シー・ホーク」にも効果的に使われており、今から楽しみにしている。またほぼ同時代に活躍したマーラーは交響曲にチェレスタを使用している。交響曲第6番「悲劇的」の第1楽章では若い愛妻「アルマの主題」なるものを弾かせてもらえる。この交響曲ではカウベルがカラコロと鳴り、鞭が打たれ、とどめはハンマーが打ち下ろされたりと初演時の観客の度肝を抜き風刺画にもなっているが、世に出て間もないチェレスタが初めて交響曲に使用された事実は忘れられているように感じる。しかも「アルマの主題」に限って言えば、悲しいほどオケに埋もれて聴こえない。せっかく美しいメロディなのにガッカリである。このことを指揮者の高関健氏へのインタビュー(こちら)が終わったあとに申し上げたところ、さすがは高関先生。即答で「できればチェレスタは2台、またはそれ以上用意するように」と記載されている版3がありますよと教えてくださった。初演時のマーラー自身もその辺りを認識していたのかもしれない。また今回の第273回演奏会で取り上げるほぼ同時代のシェーンベルク編曲のJ.S.バッハ「前奏曲とフーガ」BWV522も同じで、チェレスタは入っているのにあまり聴こえない。前回新響で取り上げた際4には本番のステージリハーサルで某団員から「この曲ってチェレスタが入っていたんだね」と言われた悲しい思い出がある。今回は令和のオーバーホールでパワーアップしたヤマハ製チェレスタを使用し万全の構えで臨むので、こちらも少し楽しみにしている。
🔷邦人作品とチェレスタ
最後にチェレスタが使用されている邦人作品について述べたい。私が新響に入団して初めて弾いた曲は芥川先生が指揮された早坂文雄「左方の舞と右方の舞」であった5。邦人作品に馴染みがなかった私にとって、この作品で繰り広げられる雅楽の典雅な響きは衝撃的であった。チェレスタも効果的に使われていて東洋的な響きに一役かっている。あくまで私見ではあるがこの曲の延長線上にあるのが黛敏郎のバレエ音楽「舞楽」ではないかと思う(第200回演奏会)。早坂作品の典雅な響きから一転、黛作品では豪華絢爛な一大スペクタクルが繰り広げられるが、根幹には東洋の静謐な美がある。黛作品では代表作の涅槃交響曲(第194回演奏会)をはじめ、曼荼羅交響曲などにチェレスタが使われている。曼荼羅交響曲では作曲家自身の指定によりチェレスタ、ハープ、ピアノは指揮者の真前、まさにセンターに設置される。いつもの定位置である下手の奥から中央に格上げされた感じがして落ち着かず、それだけでかなりの緊張を強いられた(第239回演奏会)。

芥川作品ではエローラ交響曲にチェレスタが使われている。今は世界遺産になっているインドの「エローラ石窟群」を訪れた際に受けたインスピレーションをもとに作曲されたのだが、その神秘的なサウンドにチェレスタも貢献している。しかもピアノパートと同時に弾く箇所がないので鍵盤奏者一人で演奏可能であるが、楽器移動が忙しく段取りの確認が最重要事項となる。
チェレスタが使われた芥川作品で個人的に大好きな曲は、映画音楽第一作となった「えり子とともに」のテーマ音楽だ6。前奏のチェレスタの愛らしいオブリガードは、後に続く美しいメロディを引き立てている。芥川先生は映画音楽や放送音楽にも力を尽くされたが7、ご存命の時はアンコール曲として演奏したことはあっても、正規のプログラムで取り上げたことはなかったのが残念で仕方がない。
そして時は流れて2025年、作曲家であり新響チェロ奏者でもある坂田晃一氏による放送音楽の数々を演奏する機会がやってきた(第270回演奏会)。まさかNHK連続テレビ小説「おしん」を、そしてその「おしん」の主題を演奏できるとは夢にも思わなかった。作曲家自身の編曲による新響バージョンではチェレスタ、ハープシコード(電子楽器で対応)、グロッケンシュピールとヴィブラフォン奏者が同時に演奏して「あの」サウンドが再現された。あの手この手を駆使して「おしん」をリアルタイムで1年間ほぼ毎日見続けていた私にとって、主人公のおしんは米1俵と引き換えに筏に乗せられ奉公に出された可哀そうな子どもというよりは、過酷な運命を自らの手で切り開いていくしたたかで逞しい子供だと思っていた。初回の練習の時に坂田先生が同じような内容をおっしゃっていてちょっと嬉しくなった。
今回チェレスタのことについて当時の思い出を含めて書くにあたり、取り上げた作品がドイツ・オーストリア作品や邦人作品などに偏ってしまった感がある。そもそもチェレスタは1886年にフランスのオルガン製作者ミュステルによって考案、制作されたこともあり、特にフランス系の音楽、ドビュッシーをはじめとしてプーランク、そしてラヴェルの作品などにも多く使用されている。残念なことにミュステル社のチェレスタは現在製造されていない。その音量は大編成の近代オーケストラの中にあってはパワー不足の感は否めないが、「元祖チェレスタ」ともいうべき独特な音色を好む指揮者、演奏家は多い。もし次に執筆する機会があれば、今回取り上げていない曲についても述べてみたいと思う。
- 1985/7/20、第108回演奏会〈マーラーシリーズ7〉(新宿文化センター、指揮:山田一雄) ↩︎
- 1993/9/7、第43回ベルリン芸術週間(ベルリン・フィルハーモニー、指揮:石井眞木、マリンバ:安倍圭子、打楽器(シデロイホス):山口恭範 、ベルリン・パーカッション・アンサンブル) ↩︎
- カーント版(第1稿) ↩︎
- 2002/4/20、第177回演奏会(東京文化会館、指揮:小泉和裕) ↩︎
- 1987/2/1、第114回演奏会〈サントリー音楽賞受賞演奏家シリーズ〉(サントリーホール、指揮:芥川也寸志) ↩︎
- 1994/2/13、芥川也寸志メモリアル・コンサートⅡ〈映画音楽の夕べ〉(田園ホール・エローラ、指揮:小松一彦) ↩︎
- 芥川也寸志による映画音楽の作曲は104本に及ぶ。(出典:秋山邦晴『芥川也寸志の映画音楽に見られるドラマ性』) ↩︎
