新交響楽団 維持会に関するちょっとマジメなお話(その1)

松下 俊行(フルート)

 全国の新交響楽団維持会員の皆さま、こんにちは。維持会マネージャーを務めております松下です。平素は弊団に数々のご支援を賜り、誠に有難うございます。
 私は2006年にマネージャーに就任して以来、年4回発行の『維持会ニュース』編集人の責務として、とにかく文字を埋める必要に迫られては数々の駄文を書いて参りました。が、改めて考えてみると維持会そのものに関する記事を一度も載せた事が無かった現実に気づきました、今さらながら。私の立場を考えれば(考えるまでもなく)これは非常にまずい。まず過ぎる!
 いまや後進に業務を委譲すべきこの時期、維持会制度の来し方・行く末を自分なりにまとめ、同時に会員各位にもこの制度の成立ちや性格や現在直面している問題点などを書き残す事はいまや団内外への義務・・・・と無理やりこじつけ、ご紹介しようと考えた次第。回り道をしながらのご案内となりますがお付き合い戴ければ幸甚です。

🔷オーケストラはカネ喰い虫

 敢えてここではオーケストラに限定しますが、プロフェッショナルとアマチュアの「本質的な」差異は何か?と言えば「演奏してカネを稼ぐ⇔カネを払って演奏する」にあります(技量の差?それは本質ではない)。新響はもちろん、世にあるアマチュアオーケストラは例外なく「自腹」を切って演奏している。そしてその額が半端でないという状況は運営上の普遍的・根源的な問題です。オーケストラの活動にはとにかくカネがかかるのです。
 例えば練習の度に会場を借りる必要がある。新響の場合1回の演奏会を開くに当たり、10数回の練習を行っています(これはアマオケとしては少ない方です。年4回の本番を週末の練習で対応するとこの程度の回数が精一杯)。あまり知られていない事ですが、この回数の練習全てにおいて全員が一堂に集まる訳ではありません。弦楽器群は弦楽器だけで、打楽器は打楽器だけ、管楽器は更に木管・金管に分かれてそれぞれ練習という場合があります。するとその1回の練習で場所も複数を押さえなければならず、それぞれに当然ながら費用が発生します。読書サークルや俳句の会のように、こぢんまりした一室を借りて静謐の中で知的な交流に終始する高尚な趣味とは違い、こちらは100人以上の人間が一斉に音を出して初めて成り立つ活動なので、会場として使用に耐え得る、音響空間と防音の条件が整った処は限定され、料金も割高とならざるを得ません。
 更に練習の都度、それぞれに指導者(トレーナー)を招きます。その謝礼ももちろん必要(本番の指揮者が全体練習に出る場合は、事前に「練習を何回振ってもらう」とか「その練習にかかる交通費をどうする」とかいう条件を含めて出演料を決めています)。
 後述する大型楽器を練習会場に運ぶための運搬費も大きな負担です。更にはそうした楽器を日頃保管する場所の確保。現在は文京区内に事務所を借りており、楽器のほか重要な帳簿や資料、そして団所有の譜面など全て保管していますが、この賃貸料も毎月支払わなければなりません。こと新響では古今東西の「珍しい曲」を採り上げる機会が多くありますが、そうした曲の譜面の使用に際しては、著作権料や譜面の借用費用など支払いも多々発生します。これが結構馬鹿にならない金額だったりするのです。
 そして仕上げに演奏会を迎えると当然その会場費。東京芸術劇場でも休日の午前(リハーサルの為です)午後と、楽屋を含めて借りれば80万円前後。これは安い方です。会場のピアノを使う(よくあります)、オルガンを使用(たまにある)・・・・ 追加料金は枚挙に遑ありません。という訳で、あまり詳しくは示せませんが、全体の年間経費は新響の場合1000万円単位(必ずしも1000万円台という意味ではない)にも及びます。

🔷資金問題の解決策は?

 こうした財政事情は額の差こそあれ、アマチュアオーケストラはどこも同じです。カネ詰まりになって活動休止に追い込まれる団体が絶えない現実もあります。ではその解消の手立てとして何があるか?
 一般的なのは何らかの助成を受ける事で、具体的には企業や団体または自治体からの補助。これはカネの助成以外に、練習会場やホール或いは楽器の提供などモノによる支援もあり得ます。前述した練習会場や本番ホールの費用負担が軽減され、或いは個人負担で確保するには余りある楽器を買い(或いは貸し)与えてもらえればこれは大きい。こうして成り立ち、活動しているオーケストラは多くあります(プロオケも概ねこうですね)。
 よくアマチュアオーケストラの別名として「市民オーケストラ」が使われる事がありますが、この語の響きにはそうした何らかのバックアップのニュアンスが込められているように、個人的には感じられますし、新交響楽団がこの市民オーケストラと目されたら、抵抗感を覚える団員はいるだろうと思います。新響は特定の支持母体を持たず、活動資金は団員個々が負担する団費と演奏会参加費そして演奏会に於ける利益(あれば)を基本として、独自の価値観に基づく演奏活動を行う「独立独歩」の姿勢を堅持しているからです。援助を受ける事には、必ず何らかの制約がついて回り、それが自由な活動を時として阻害しかねないとの考えが根底にあります。世の中に「カネは出しても口は出さない」という事はあり得ない。新響は身を以ってそれを学んだ歴史を持っています。

🔷維持会制度発足の背景

 新交響楽団は1956年に『東京労音新交響楽団』として発足しました。来年創立70年周年を迎える訳ですが、このオーケストラも発足当初はその名の通り当初は東京労音のバックアップがあったのです。労音とは「勤労者音楽協議会」の略称。クラシック音楽の大衆化を教宣活動の一環とした日本共産系の団体でした。援助の見返りとしての演奏が求められた事は容易に想像出来るでしょう。それでも当初は「音楽はみんなのもの」とする芥川也寸志氏の考えにも沿ったものを含んでいたと思います。
 暫くすると従来政治信条を共にしていた筈の中共(=中華人民共和国。現在の中国をこう呼んでいました)とソヴィエト連邦との路線対立が深刻化します。日本共産党内部も親中・親ソ両派に分かれ、代理戦争のような様相の果てに親中派が主導権を握るに至る。単身ソ連に入り、ショスタコーヴィチやカバレフスキーらと交流を持っていた芥川氏は親ソと目されて、様々な批判や妨害が向けられるに至ります。当然ながら新響の活動自体にも支障が生じてきました。この時代の労音内部の事情やそれに対応する財界の動向などについては、山崎豊子氏の『仮想集団』という小説に詳述されています。政治の一環として位置付けられた音楽や関係者の姿なども描写されていて、興味のある方はご一読を。私もこれに芥川氏や新響の事を絡めた一文を過去に書いております(こちら)。
 例えばそこには『第九』の練習の際に「テンポを指揮者個人が押し付けるのはおかしい。みんなで協議して決めるべきだ」との意見が労音合唱団サイドから上がるエピソードが出てきます。「なに言ってんの?」今では誰しもが抱く印象でしょう。もちろん芥川氏も新響もこんなものは受け容れられません。が、当時の中共(=中華人民共和国。現在の中国をこう呼んでいました)国内ではあらゆる芸術活動で、こうした合作は普通に行われていたのでした。労音内でも主流派となった中共かぶれから出た「音楽的」意見だったのでしょう。この一事をみても、アマチュアの演奏現場にさえ中ソの対立が色濃く影を落としていた・・・・日本共産党も先鋭化しており、今では想像もつかぬほど社会全体がイデオロギーや政治的色彩に色濃く染まって個人の価値観や言動までをも縛っていた・・・・時代だった事が窺われます。私も生まれる前後で直接の体験はありませんが、中学時代に出会った極端に左傾化?した教師の存在や、大学紛争の遺風を留める殺伐としたキャンパス風景などを記憶している世代なので、この話は容易にあり得る事として理解出来ました。
 かくして新響を取巻く環境は急速に息苦しいものになって行く。音楽監督たる芥川氏個人に対する批判も更に強まる。その結果として10年を経た1966年に新響は労音からの独立を果たしました。客観的には「喧嘩別れ」に等しく、当然労音からのバックアップも断ち切った事を意味します。よくよく考えた上での離脱だったであり、相応の準備は当然されていたと想像します。が、「独立自尊」と「孤立無援」とは表裏一体です。新響は使用して来た労音所有の大型楽器や特殊楽器から切り離されます(使用会場の制約も生じた筈です)。オーケストラにカネがかかるのは当時も同じ。それどころか楽器類は今よりも遥かに貴重で入手し難く、従って極めて高価なものでした。そこで芥川氏は100万円を購入費用として新響に寄付したとの話を個人的に聴いた事があります。でもそれだけで全ての楽器を揃えることは残念ながら困難だった筈。総額としても不足している上に、楽器に限りませんが道具というものは長く使い続けるには必ずメンテナンスを必要とし、その費用もまた馬鹿にならないからです。
 卑近な個人例で申し訳ありませんが、私が日頃使用している楽器(フルート)でさえ、数年に一度はオーバーホールの必要に迫られ、ひとたびそれを行えば10万円前後の費用が発生します。またそれとは別に小まめな調整も必要で当然個々にカネがかかります。言うまでもなくこれは個人の支出ですが、団所有の共有楽器については使用者が一定しませんので個人負担はそぐわない。更にいずれは楽器そのものの耐用年数切れに伴う買い替えの費用・・・・こと楽器に関してはどこまで行ってもおカネの不自由がついて回るという図式です。
 そこで考え、設立されたのが維持会制度。
 「やっと出てきたか・・・・」との感想を抱かれた方も多かろうとお察し致します(そもそもここまで読んでくれた、忍耐強い方がどの程度おいでかも判りませんが)。私もその想像に共感しながら文章を進めていないでもありませんが、維持会制度が生まれるまでの条件や経緯として、

  1. オーケストラの活動に伴うおカネの話
  2. そのカネをどのようにして賄うかの方法
  3. 新響はどうしていたか?
  4. 新響がそれを敢えて失ってまで獲得しようとしたものは何か?
  5. その背景は何だったのか?

というところにまで遡って説明しないと、なかなか理解にはつながらないとの確信を日頃から感じておりましたので、敢えてこの場をお借りして駄文を連ねております。実は新響団内でもこの情報は殆ど共有されておらず、維持会の制度そのものも周知徹底されているとも言い難い状況がありますので(これは偏にマネージャーたる私の責任)、尚更のこととして記述に心血を注ぐ覚悟をしているのです。
 そして・・・・ ここまで書いていて誠に申し訳ありませんが、実はこの維持会制度がいつ・どういう経緯で形成されたのか?については記録が見つからず、正確には判っておりません。これについては私も知見の限りを尽くして現在調査している、とお伝えするにとどめざるを得ないのが現状です。私が新響に入ったのは1982年ですが、この時点でこの制度は確立しており、当時400名近い会員(これは現在の2倍近い数です)を抱えていた記録はあります。
 ともあれこの制度が発足し機能する事によって、労音からの分離独立を果たした新交響楽団が、演奏団体として財政的にも「独立」し、独自の信条に基づく演奏活動を可能になったという事実は揺るぎません。現在維持会と同様の制度は、プロ・アマを問わず名称こそ様々ながら設けているオーケストラは多々あります。そうした中にあって新交響楽団維持会がその嚆矢として位置付けられる事に異論の余地はありません。

🔷大型・特殊楽器について

 維持会制度の目的は「団所有の大型・特殊楽器の購入とそのメンテナンス費用の獲得」にあるという事は、これまでの書いて来た経緯からご理解戴けたと思います。ではそうした楽器群にはどういうものがあるか?について若干の説明を加えて参ります。「自前」が原則とされるオーケストラの楽器の中で、どうしてこうした区分があるか?と言えば、

  1. 個人で所有していても、その都度運搬するには手に余る重量や大きさがある。
  2. 恒常的に使用されているが、通常団体所有すべきものとの認識が共有されている。
  3. 使用頻度が低く、個人が所有するには適さない。極めて高価でもある。

といった条件の楽器だからという他は無く、この認識は共有されています。
 まず大型楽器。大抵のオーケストラはティンパニをはじめとする打楽器群の大半を②の団所有の楽器と位置付けています。新響ではコントラバスも②として扱われていて、団の楽器を常備しています。が、奏者は当然ながら各々が楽器を所有しており、日常の個人練習ではそれを使用しています。その上でオーケストラの練習には自分の弓だけ持ってきて団の楽器で演奏するのが一般的です。もっとも世の中には自身の楽器をその都度自分で運ぶという人も多々いますし、おカネに困る団体はこの「自力更生」に依存せざるを得ない現実はあります。そういう楽器なのです。
 これに比べて③の条件に対応する楽器群(これが特殊楽器に該当します)は多彩で、各オーケストラによって相当の差異があり得ます。逆に皆無という団体があってもおかしくありません。新響は現在大抵のものを所有しており、「全く新たな楽器の購入」の実績は近年殆どありません。
 逆に持っていなければレンタルしか手立てはなく、当然高い費用も必要となるので、その楽器を使う曲はそもそも選曲対象としない、との方針も視野に入れる必要が出てきます。つまり特殊楽器を所有しているか否かによって、演奏活動の範囲が限定されてしまうという現実があるのです。以下僅かの例ですが新響所有の特殊楽器について補足します。

● コントラ・ファゴット
 『第九』や『運命』を演奏する際でさえ必ず問題になります。私の経験ですが、学生時代にこれら曲を演奏するに際しては楽器が無かったので、トレーナーだったN響首席の霧生吉秀氏にエキストラとして「楽器付きで」参加して戴いていました。いま考えれば誠に畏れ多い話ですが、これ以外に方法はありませんでした。その後新響に入るとコントラ・ファゴットを団が持っているというのでひどく驚いた・・・・感動さえした記憶があります。この名器がいつ新響にもたらされたかの記録は残念ながらありませんが、詳細は維持会費でオーバーホールした折の事を、ファゴット奏者の田川氏に『維持会ニュース』宛てに寄稿して戴いています(こちら)。

● ワーグナー・テューバ
 現在では4本セットの個人持ちさえあるくらいですが、新響が1995年に維持会費で購入した当時は、どこも所有しておらず本当に貴重なものでした。ブルックナーの交響曲第8番を飯守泰次郎氏と演奏した際(1995年第149回演奏会)までは借り物を使用。あまり良い楽器ではないが我慢して使わざるを得ないという状況で、自前の楽器を入手する事は悲願でさえありました。購入翌年の『ヴァルキューレ』でデビュー。
 このセットは一時期他団体にも貸出しを行って、新響の財政改善にも貢献したもののトラブルが頻出し、門外不出の扱いに。今なら貸し出しなどとんでもない、と思いますがそれほどに「外需」があったのでした。

● チェレスタ
 今でもオーケストラで所有している団体は少ない。『くるみ割り人形』やバルトークの作品でしか出番が無いと思われがちですが、それは単に楽器を持ってない為にこの楽器を含む曲があまり演奏されないだけの話。新響は所有している強みを発揮して盛んに選曲しています。今年2025年は4月のショスタコーヴィチから始まって毎シーズンフル出場の状況です(今シーズンも使用)。チェレスタは借りようとすれば大した楽器でなくとも料金は特にバカ高いので、所有していないとこの楽器を使う作品からは縁遠くなる事必定なのです。
 既に生産中止のモデルながら後継機種より音量もある名器。今秋維持会費によるメンテナンスを経て再生しました。まだまだ活躍が期待できます。

 ここまでお読みくだされば、特殊・大型楽器整備の充実が、どれほど新響の演奏活動の幅を拡げ、多様化をもたらしているか?がご理解戴けるでしょう。維持会制度による長年に亘る恩恵の蓄積がこうした形で現れている状況は特筆すべき事です。
 ついでながら「ハープ」について。これは新響では所有しておりません。奏者も募集していないのです。確かにチェレスタと比較して使用頻度は桁違いに高い楽器で、また過去には「新響にハープで入りたい」との希望が何度か寄せられてもいます。演奏委員会でも検討をしましたが「プロ奏者を楽器付きで、その都度招聘するメリットの方が大きい」と結論されて今に至ります。楽器の良し悪し、そして扱う奏者の技倆とのバランスを考慮してこの方針を通しています。また指揮者によってはハープ奏者(当然プロ)を指定してくる事もあるので、そうした場合に担当の団員がいるから、との理由で要求を断れるのか?要求される演奏の質を団員で担保できるのか?との疑問もあります。世の中にはハープ奏者を団員に抱えているアマチュア団体もあります。こうした問題にはどう対処しているのか?個人的には興味があります。
 ただし我々が堅持する方針の場合、本番間近までハープが入らない練習が続いてしまうという明らかなデメリットが発生しますが、これは「やむを得ない事」とされています。プロ奏者に練習の度に楽器付きで来て戴くのは予算的に難しく、そもそもスケジュールが合わないので。
 1990年代前半、作曲家の石井眞木氏指揮で自作の演奏会を何度も行いました。その打合せ時の事。練習当初からハープを「必ず」入れたいとの意向に対し、インスペクターだった私は「その条件を満たす奏者のあてがありません」と返事せざるを得ず。すると

「そうか・・・・ じゃ篠崎さんでいいかな?」
「えっ!?ハープの『篠崎さん』いうたら、あああ、あの篠崎史子センセのことでっか?」

と意表をつく大物の名に、何故かエセ大阪弁で心中うろたえるこちら(生粋の東京生まれだが)を尻目にその場で本人に電話し、初回練習からの参加でまとまりました(石井氏が費用負担。次回以降も同じ)。以来30年。彼女は矢崎彦太郎氏ご指名のハーピストなので今シーズンも協演します。残念ながら本番直前からの練習参加ですが・・・・。

🔷演奏会企画充実のために

 皆様から戴く会費は「維持会会計」に組み入れて管理します。先述した楽器の購入に対する支出は、維持会本来の目的にそのものであるためこれを「目的支出」の費目として分類しています。維持会会計のその他支出としては各会員への通知の印刷や発送の費用、その他事務費などがある程度です。
 新響では、例えば創立70周年や芥川氏生誕100年のような特別な年に、記念イヴェントとして特別な演奏会企画を大抵の場合立てます。こうした際には合同委員会での協議・合意を経た上で、維持会会計からまとまった額の支出を行い、演奏会会計に補填します。新響の会計は一般会計・演奏会会計・維持会会計の3種から成っていますが、殊に演奏会そのものの収支は、毎回概ねトントン。若しくは各回のプラスマイナスを年間で締めて概ね均衡が保てる・・・・ が常態と言えます。だからソリストを多数招聘したりサントリーホールのような値の張る会場を使用したりすれば、簡単にマイナス振れてしまう。こうした場面での維持会会計からの補填は不可欠になるのです。
 このように維持会の会費は、いまや本来の目的である楽器の購入費用の範囲を超えて、より充実した演奏企画の実現のためにも活用されているという性格を持つに至っています。改めて御礼申し上げます。

 維持会制度についての詳細や今後解消すべき課題など、次号でいま少し言及したいと思います。
 今回はひとまずここまでで失礼致します。

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