兼子 尚美(フルート)
■ 神童と呼ばれた少年 ――「第二のモーツァルト」

「私は作曲家になりたいと思ったことなどはありません。ただ、父を喜ばせたかっただけなんです」― 後年、コルンゴルトが好んだジョークの一つである。
父ユリウス・コルンゴルトはウィーンの音楽批評界で最高権威を誇ったハンスリックの後継者であり、幼い息子の類いまれな作曲の才能をいち早く見抜き、その才能を世に送り出した最大の理解者であった。この父の存在を抜きにして、20世紀音楽史におけるエーリッヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト (1897-1957) という特異な天才の生涯を語ることはできない。今でこそ「ハリウッド映画音楽の先駆者」の一人として語られることが多いが、実は映画音楽を手がける遥か以前から、ヨーロッパで一流のクラシック作曲家として認められていた。
1897年、オーストリア=ハンガリー帝国領のブリュン(現チェコ共和国領ブルノ)に生まれた彼は、4歳からウィーンで育ち、幼少期から並外れた音楽的才能を示した。父ユリウスは、モーツァルトにあやかり息子のミドルネームに「ヴォルフガング」と名付けたが、まさかその名にふさわしい音楽家として、後に称賛される存在になるとは思いもしなかった。
9歳の彼が作曲したカンタータを聴いた巨匠グスタフ・マーラーに「天才だ!」と言わしめ、11歳で作曲したバレエ音楽『雪だるま』はウィーン宮廷歌劇場で上演されて大絶賛を浴びる。世間は彼を「神童」「第二のモーツァルト」と絶賛した。その熱狂ぶりを象徴するのが、1911年の新聞に掲載された一枚のカリカチュアである。ピアノに向かう少年コルンゴルトを、リヒャルト・シュトラウスやジークフリート・ワーグナー、アルトゥール・ニキシュら、当時の音楽界を代表する巨匠たちが取り囲んでいる。少年とは思えない成熟した作品を次々と発表した彼は、23歳で初演されたオペラ『死の都』で世界的な大成功を収め、若くして国際的な名声を不動のものにする。すでにクラシック音楽界で確固たる地位を築いていた天才作曲家が、その後、映画という新しい芸術領域でその才能をさらに開花させる。
恋愛にも早熟であった彼が14歳で女性に興味を持ち始めた時、父は息子が音楽から遠ざかってはいけないと、さらに厳格に音楽の訓練を指示したという。
■ ナチスの迫害 ―― そしてハリウッドへ
ヨーロッパで築き上げてきたコルンゴルトの人生を大きく揺るがしたのが、ナチスの台頭であった。ユダヤ人家庭に生まれた彼にとって、ナチスによる迫害は、音楽家としての活動だけでなく家族の命をも脅かすものであった。
1934年、コルンゴルトは演出家マックス・ラインハルトの依頼を受け、初めてアメリカへ渡った。翌年公開の映画『真夏の夜の夢』のためにメンデルスゾーンの音楽を編曲したことが、ハリウッドとの本格的な関わりの始まりとなった。その後、アメリカとヨーロッパを行き来しながら映画音楽との関わりを深め、『風雲児アドヴァース』(1936)、『ロビン・フッドの冒険』(1938) で、いずれもアカデミー賞を受賞するなど、ハリウッドを代表する映画音楽作曲家として名声を確立していく。

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しかし、彼自身は「映画音楽家」になることを望んでいたわけではなかった。オペラや交響曲、室内楽などの作曲こそが、彼にとって本来の創作活動であり、ヨーロッパの音楽界とのつながりも保とうとしていた。
そんななか、1938年にナチス・ドイツによるオーストリア併合が起こり、彼はアメリカに亡命した。家族も後にアメリカへ移住し、こうして彼はヨーロッパを離れ、ハリウッドを活動の中心とすることになった。
ハリウッドで成功を収めた後も、コルンゴルトは映画音楽を決して「二流の仕事」として扱わなかった。オペラや交響詩で培った色彩豊かな響きと劇的な音楽構成を映画の中に持ち込み、音楽そのものによって映画の物語や登場人物の感情を描き出したのである。
■「映画音楽」はクラシック音楽ではないのか
映画音楽は映像のために書かれた音楽である。確かに、映像と音楽が結びつくことで、それぞれ単独では生み出せない、より豊かな表現が生まれる。しかし、コルンゴルトの作品は、映像を離れて聴いても一つの音楽作品として強い魅力を持つ。
彼は、オペラや交響詩で培った技法を映画音楽にも惜しみなく取り入れた。人物や場面ごとに特徴的な旋律を与え、それを変形・発展させながら物語を進める手法は、ワーグナー以来のライトモティーフにも通じる。コルンゴルト自身、映画音楽を「歌のないオペラ」と表現していた。
映画音楽をクラシック音楽とは別ものと考えるのではなく、クラシック音楽の伝統が、映画という新しいメディアの中で発展したものと捉えることもできるだろう。そんな彼の音楽は、後の映画音楽にも大きな影響を与え発展の礎となった。かのジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」メインテーマは、コルンゴルトの「キングス・ロウ」の影響が指摘されている。二つの作品を聴き比べると、その響きの近さに驚くだろう。
■「シー・ホーク」―― 海、英雄、そして音楽

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1940年、彼はマイケル・カーティス監督、エロール・フリン主演の映画『シー・ホーク』の音楽を作曲した。エリザベス1世の時代、イギリスとスペインの対立を背景に、イギリス女王の許可を得て敵船を追う船長ジェフリー・ソープの活躍を描く海洋冒険映画である。
約2時間の映画の大部分をコルンゴルトの音楽が彩り、海戦、決闘、宮廷、恋愛など、物語の展開をオーケストラが鮮やかに描き出す。この曲は、彼のハリウッド時代を代表する冒険活劇音楽の一つである。
今回演奏する「シー・ホーク」メインテーマは、華やかなファンファーレとメイン・タイトルに始まり、途中に美しく抒情的なテーマが現れ、最後は再びファンファーレが力強く響いて締めくくられる。短い時間の中に、『シー・ホーク』の音楽世界が凝縮されている。金管楽器の輝かしさ、弦楽器・打楽器が生み出す推進力は、大海原を進む船や激しく交わされる剣を思わせる。
一方、中間部の濃密でロマンティックな木管・弦楽器による旋律には、オペラや交響曲で培われたコルンゴルトの豊かな抒情性が息づいている。
■ 愛するウィーン、変わりゆく時代
1949年、コルンゴルトは最愛のウィーンへ帰還する。しかし、戦後の音楽界では十二音技法をはじめとする新しい音楽語法が大きな影響力を持つようになり、ロマンティシズムを貫く彼の作品は「時代遅れ」とみなされ、かつての評価を取り戻すことはできなかった。
その後、彼は家族とともにカリフォルニアに戻る。その晩年は失意の中にあったとも言える。しかし、この曲を演奏していると、底抜けの明るさ、勢い、そして人の心を揺さぶるメロディーに、家族思いでユーモアに富んでいたという彼の温かな人柄と触れたような気がする。
本日の演奏会でコルンゴルトの音楽がより多くの人々に親しまれていくことを願いたい。
初演:
1940年8月 映画『シー・ホーク』公開 マイケル・カーティス監督/ワーナー・ブラザース
楽器編成:
フルート3(2番はピッコロ持ち替え)、オーボエ2(2番はコールアングレ持ち替え)、クラリネット2、バスクラリネット、アルト・サクソフォン、ファゴット2(2番はコントラファゴット持ち替え)、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、打楽器、ハープ2、ピアノ、チェレスタ、弦五部
参考文献
- 早崎隆志『コルンゴルトとその時代 ― “現代”に翻弄された天才作曲家』みすず書房、1998年
