J. S. バッハ(シェーンベルク編)/前奏曲とフーガ 変ホ長調

山口 裕之(ホルン)

Arnold Schönberg
(Man Ray 1927, Wikimedia Commons)

 J. S. バッハのオルガン作品にはいくつもの「前奏曲とフーガ」があるが、そのなかでもシェーンベルクが編曲した「前奏曲とフーガ」変ホ長調の原曲 (BWV 552) は、ひときわよく知られる作品である。この作品は、バッハの他の「前奏曲とフーガ」とはかなり位置づけが異なり、もともとは1739年に出版された『クラヴィーア練習曲集第3部』の冒頭を飾る「前奏曲」と、この曲集の最後に置かれた「5声のフーガ」であった。そのあいだに、21曲のオルガンによるコラール等がはさまれている。バッハの信仰心がその構成や音楽のうちにはっきりと表れているこの『クラヴィーア練習曲集第3部』の最初と最後に置かれ、曲集全体の「枠」を形作るこの「前奏曲」と「フーガ」ではあるが、バッハの生前には出版されることのなかった他の数多くのオルガンによる「前奏曲とフーガ」と同じように、この二つを組み合わせていっしょに演奏するということは、とくに19世紀以降の演奏・楽譜出版の歴史の中では当たり前のことになっていた。20世紀半ばにシュミーダーによって編纂されたバッハ作品目録 (BWV) でも、この二つの部分がまとめられて「前奏曲とフーガ」とされ、これにBWV552という整理番号が付与されることになる。
 シェーンベルクが、バッハの「前奏曲とフーガ」変ホ長調のオーケストラ編曲に取り組んでいた1928年は、シェーンベルクが「十二音音楽」にもとづいて、すでに「木管五重奏曲」作品26 (1924年)や「管弦楽ための変奏曲」作品31 (1928年)などの重要な作品を創作していた時期である。シェーンベルクは『浄められた夜』作品4(1899年)のような爛熟した後期ロマン派的な音楽から作曲家の活動を始めながらも、「室内交響曲第1番」作品9(1906年)など、次第に調性から離れて行く道を模索してゆく。彼がいわゆる「無調」の音楽に決定的な一歩を踏み出すのは1908年頃であり、その後、「5つの管弦楽曲」作品16,モノドラマ『期待』作品17(ともに1909年)といった「無調性」の重要な作品が生み出されていくのだが、シェーンベルク自身は、伝統的形式から脱したがゆえの限界を次第に意識するようになる。そこから1923年頃にたどり着いていったのが、1オクターブ内の十二音による音列によって構造的に組み立てられる「十二音音楽」であった。
 「無調性」の音楽にせよ、そこから展開していった「十二音音楽」にせよ、シェーンベルクは伝統的な西洋音楽の枠組みを大きく踏み越えることになり、それによって彼は、西洋音楽史における「現代音楽」の創始者と一般的に見なされている。もちろん同時代の聴衆にとっても、シェーンベルクの音楽は物議を醸すものであったが、シェーンベルク自身は、自らの革新性を当然ながら強く意識するとともに、この革新的(あるいは破壊的)と思われている自分の音楽が、いかに伝統的な音楽と深く結びついているかをしばしば強調している。「私は音楽の前衛芸術家であるよりも、むしろ、正しく理解された古き良き伝統の自然な継承者であることを重んじます!」 シェーンベルクは、自分の師は「第一にバッハとモーツァルト、第二にベートーヴェンとブラームスとヴァーグナーであった」と語っているが、とりわけバッハについては、繰り返しいろいろなところで言及している。彼はバッハから「対位法的思考、つまり自らを伴う(伴奏する)ことのできる音の造形物を作り出す技巧」、「一つのものからすべてを生み出し、音の造形物を互いのうちに移行させて行く技巧」、「拍からの自立」という三つのことを学んだと述べているが、それはとりもなおさず、彼にとって、バッハが「新しい音楽」を作り出していた作曲家であったということでもある。
 シェーンベルクは、「前奏曲とフーガ」の6年前にも、バッハの二つのコラール前奏曲のオーケストラ編曲を行っており、後年、ある指揮者にこれらのバッハのオルガン作品の編曲について、自分の意図を説明している。その中で彼は音の響きについて、「色彩は、声部進行を明確にすることを目的としている」と述べている。このことは、まちがいなく「前奏曲とフーガ」のオーケストラ編曲についても当てはまるだろう。シェーンベルクはすでに1910年代初頭には「音色旋律」というものを思い描き、例えば「5つの管弦楽曲」の第3曲でもそれを試みている(ヴェーベルンの「リチェルカーレ」ではそれが先鋭的なかたちで引き継がれている)。バッハ作品のオーケストラ編曲は、シェーンベルクにとってもちろん、偉大な「師」の作品とともに西洋音楽の伝統につながることでもある。しかし、それとともにいうまでもなく、ここではまさにシェーンベルクの音楽が生み出されている。壮麗で華々しい変ホ長調の響きで始まる「前奏曲」、そして3つのフーガの主題が次々と現われ、最終的にこれら3つの主題が壮大に絡み合う「フーガ」は、バッハの音楽でありながらも、フレーズ内でのさまざまな音色の移行、多彩な音の表現のニュアンス、大胆な楽器の使い方、細かなダイナミックスやテンポの指定などによって、シェーンベルクによる音の構築物に生まれ変わっているのである。

初演:
1929年11月10日、ベルリン。ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

楽器編成:
ピッコロ2、フルート2、オーボエ2、コールアングレ2(オーボエ3・4に持ち替え)、E♭クラリネット2、クラリネット2、バスクラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット2、ホルン4、トランペット4、トロンボーン4、バステューバ、ハープ、チェレスタ、ティンパニ、トライアングル、シンバル、グロッケンシュピール、シロフォン、大太鼓、弦五部

参考文献
  • 礒山雅、鳴海史生、小林義武『バッハ事典』、東京書籍、1996年
  • マルティン・ゲック『ヨハン・セバスティアン・バッハ 第Ⅲ巻』
  • 小林義武監修・鳴海史生、大角欣矢訳、東京書籍、2001年
  • ヴィリー・ライヒ『シェーンベルク評伝』、音楽之友社、1974年
  • Eberhard Freitag, Schönberg, Rowohlt, 1973
  • Josef Rufer, Das Werk Arnold Schönbergs, Bärenreiter, 1959
  • Arnold Schönberg, Stil und Gedanke, Fischer, 1976 (übersetzt von Gudrun Budde)(アーノルト・シェーンベルク『シェーンベルク音楽論選 様式と思想』上田昭訳、ちくま学芸文庫 2019年)
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